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第2クール第17日 外出

珈琲館のコーヒー
今朝は昨日に比べてだいぶ体調も良くなってきたように思いました。身体の怠さもだいぶ消えて、朝食もきちんととることができました。午前中の回診では、明日もう一度採血をして、血液の状態によって退院の可否を決めることになります。

体調が良かったこともあり、午後から外出しても良いかどうか尋ねると、熱が出ていなければ大丈夫と許可がでたので、昼ごはんをそこそこ食べたことにして、私服に着替えて外に出ました。

橋向こうにあるイオンに行く用事があったので、強気を出して歩けるところまで行ってみようかと歩きはじめたのですが、すぐにそれは無謀なことだと悟り、病院に戻ってタクシーを拾って行きました。イオンは平日なのにえらい混み様でどうしたことかと思いましたが、なるほど夏休みだったですね。用事を済ませてWi-Fiスポットで溜め込んでいたiPhoneアプリのアップデートも済ませて、帰りは500m歩いて駅まで行って、それからバスに乗りました。駅から病院の近くのバス停までは停留所わずか4つ分なのですが、その距離がなかなか歩けないものです。

まだ外出してから1時間ちょっとしか経っていませんでした。このまま帰るのもつまらないので、近くの喫茶店に入りました。そこもなかなか席が埋まっていて、どうしてこんなに混んでいるのかと思いましたが、ああ夏休みかと思い起こしました。コーヒー飲みながら、自分だけ季節から取り残されたような気もしないでもありません。世の中と時間のズレが出てきたのかなあなどと思ってしまいました。

喫茶店を出て仰げば病院の白い建物が見えます。そこの一番上の階の自分がいる病室がすぐわかりました。なぜって午後の日を浴びても、そこだけカーテンが開いているのですもの。そうしていつもはそこから、この喫茶店を眺めているのでした。窓際に立っていたら、結構目立っていたかなあなどと今更ながら思いました。

結局四時までの外出予定でしたが、一時間くらい繰り上げて病院に帰りました。ほとほと疲れてしまったのです。身体を動かすことはできましたが、まだ順序をわきまえて少しずつ慣れていかなければいけないことがよくわかりました。こんなことで、本当に退院できるのかいな…。

第2クール第16日 退院は週明けに

未明の激しい雨で目が覚め、多少咳き込みもしたのでマスクを着用しました。血液の状態によっては、感染症を引き起こすかもしれないからです。身体がえらくだるいので、血液の状態もあまりよくないだろうと思いました。

けれども今朝の血液検査の結果では、白血球は6.4と平常値で、感染症の心配はありませんでした。一方で、赤血球は2.53と相変わらず低く、基準値下限の6割ほどしかありません。身体がしんどいのは、ひとえに赤血球不足の貧血によるもののようです。また、血小板にいたっては5万5千と、注意すべき5万に近づいてきました。そのため、もうしばらく入院し、週末に再度血液検査をして、回復に向かうことを確認してから退院をすることにしました。

今回は白血球の値が下がらなかったので、実は早々に退院してもよかったのです。赤血球と血小板を回復するためには、輸血しか方法がありません。しかし、輸血は後々の血液感染リスクなどもあり、余程のことでない限りは行いません。どのみち骨髄抑制は時間が経てば回復していくからです。同じ日にち薬なら、病院で過ごしても家で過ごしても同じではあるのです。

ですが、やはり病院で週末を過ごすことにしました。家で安静といっても、病院と同じようにはゆっくり過ごすことはできないでしょう。もう少し病院にいて、気持ちの整理をつけ、週末の子どもたちの喧騒をやりすごしてから家に帰ろうと思います。

これで週末にある水郷祭の花火大会は病室から眺めることになりました。西向きの窓は宍道湖に向かっているので、ある意味特等席からの観覧です。まさか実現するとは思いませんでしたが。

第2クール第15日 ジェムザール3回目

最後の点滴
ジェムザールのあとの生理食塩水の点滴、その最後の一滴が落ちた時「ああこれで終わったんだ」とあらためて思いました。今日予定されていた点滴が終わった、というだけでなく、これで2クールにわたって続けてきた抗がん剤治療のプロセスも終わったのです。そして、ひいては今年の初めから行なってきた、膀胱がんについての治療がこれで一区切りしたのでした。もう手術もなければ抗がん剤治療もありません。あとは副作用である骨髄抑制がどれくらい進むか血液検査をしながら確かめていきますが、副作用はいずれ終息するのですから、退院は時間の問題です。

けれども「終わったんだ」と呟きながら、それは終わったことを自分になんとか納得させようとしている上辺だけの言葉であることに気づきます。終わりの時は確実に近づいているのに、いまだ自分の気持を整理することがなかなかできていないのです。

病室から差しこむこの真夏の日差しを浴びれば、まだ冬の只中に検査入院したのは確かにもう半年近く昔のことだとわかるのですが、その記憶の鮮明さはつい先日のできごとのようにも思えます。そして、4月に膀胱という大切な臓器を取り除き、代用膀胱をとりつける手術をして、肉体的な機能はそれ以前の自分とは全く別のものになってしまったのに、自分の意識が連続していることに違和感を感じることもあります。半年の間に劇的に変化したこの運命というものについて考えだすと、とたんに混乱してしまう自分がいます。

他にできることはなかったのか。この治療の選択は正しかったのか。失ったもの、得たもの。安堵。不安。寂しさ。本当はここで決着をつけるべき心の問題に、未だ囚われている自分の未熟さを、ただ呆然と眺めているような状態です。

ぼくが今やるべきこと、それはこの間違いない事実、「これで一連の治療は終わった」ということを納得するということです。5年生存率がフィフティ・フィフティだとしても、もうやるべきことはやったのであり、病気のことはひとまずおいて、次のステップに向けて気持ちを切り替えるようにしなければいけないのだと思います。頭ではわかっているのです。ただ気持ちを切り替える自信がない。

こういう時は考えるよりも行動することで解決できることがあります。何か運動でも始めれば全然違ってくるのでしょう。退院したらきっとまた体を動かすこと、それはウオーキングでもサイクリングでもいいので、始めようと思います。もっとも、貧血の今は歩くだけでも深呼吸をして息を整えているような状態ではあるのですが…。

第2クール第14日 この入院中に読んだ本

病院で何をすることもないときは、ひたすら読書するに限ります。ここまで長く入院することになるとは思いませんでしたが、2月の入院前にKindle Paperwhite
を買い、大いに活用できているのは、ぼくにしては珍しく良い買い物をしたように思います。ぼくのKindleには、今50冊くらいの本が入っていて、つまり入院してから50冊くらい読んできたことになります。近年は書店に行っても、なかなか紙の本を買うことも少なかったのですが、Amazonでは結構本を買ってしまっていて自分でも少々驚いています。

入院中でもインターネットに繋いだ時にはAmazonに立ち寄ってはKindle本のコーナーを見ています。品揃えはまだまだ感がありますが、まだ読んでいない有名所が電子書籍になっていたりすると、値段も割安だったりしてついついポチってしまうんですよね。そうすると、あっという間に手元のKndleに本が転送されて読めるようになっているのです。

この入院ではぜひとも読みたいと思って吉川英治三国志を買いました。ぼくが買ったのはお馴染みの講談社版で、文庫本にして8冊分が合本になって950円。安いこともあるし、それだけの本があっさりKindleの中に入って読めるのです。今回入院してから読み始めましたが、あっという間に読み終えました。吉川英治はちょうど著作権が切れたので、今後続々と青空文庫などにも収録されていくでしょう。長編も多いので楽しみでもあります。

あとは近藤史恵サクリファイスも前々から読みたいと思っていたのをセールで買ったのですが、面白かった。自転車ロードレースのあの独特の駆け引き、エースとアシストの役割分担など素人目にはなかなかわかりにくいものですが、そこらへんは丁寧に書いてあって、わかりやすいです。エースである石尾のあまりのストイックさに、そんなことあるわけないだろうと思いつつも、読後は爽やかなものが残りました。

クリストファー・マクドゥーガルBORN TO RUNも紙の本に比べると圧倒的に安いので買っちゃいました。著者がランニングをするとなぜ故障するのかということを出発点として、伝説の走る民族タラウマラ族にたどり着き、彼らと著者をつなぐ「白馬」と呼ばれる男との出会いや彼らとの感動的なレースを書いたものですが、途中で人間は走るために進化してきたことや、最高のランニングシューズが故障を引き起こす最大の原因であることなどを解き明かしていきます。ぼくが今こういう状態だからか、文中のとある博士の弁が印象に残りました。

西洋における主な死因−−心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、十数種類の癌−−のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。医学もなかったが、ひとつ特効薬があった−−(略)「ごく単純なことです」と博士は言った。「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」

とてもウルトラマラソンには挑戦できないけれども、退院したらまた身体を動かすことをはじめたいと思いました。

第2クール第13日 骨髄抑制進む

病院に戻って最初の夜は、どうしても気持ちが後ろ向きになりがちです。

深夜に起きだしてトイレを済ませたら、廊下にあるベンチに座って北の方角をしばらく眺めていました。まだ暗い町並み、人通りもない交差点に点滅し続ける信号だけが時間の経過を告げています。もう何度も見てきましたが、もうすぐこの風景も見納めになるかと思うと、なんだかぞっとするものを感じました。本当に退院してもやっていけるだろうかという気持ちが沸き上がってきます。病院が日常になってはいけないと戒めながら、すっかり病に取り込まれてしまっているのかもしれない。しっかりしなければという気持ちだけが上滑りしています。

今朝の血液検査の結果は、白血球は基準値以内でしたが、赤血球はだいぶ下がってきて、ヘモグロビンは8.3gとこの治療を初めて以来最低の値になってしまいました。いろいろな動作がしんどいはずですが、実は前回よりも少し楽に思います。貧血は意外と慣れるもので、大きな動作さえしなければ、まだ大丈夫なようです。血小板は10万を切ってきましたが5万以下でなければ安全圏内。骨髄抑制は確実に進んでいるけれども、白血球と血小板はまだ大丈夫なので、予定通り水曜日に3回目のジェムザールを投与することになりました。

もう最後でもあるので、3回の投与でがくっと値が下がったとしても、血液が回復するのをじっくり待てばいいという判断なのでしょう。今は目の前の治療を全うすることが大切なのかもしれません。今後のことを思い煩うのはもう少し先のことにしようと思います。

第2クール第12日 病院に帰る

外泊を終えて、再び病院に帰ってきました。今回は割と大丈夫と思っていたけれども、ちょっと動くとしんどかったりして、やっぱり体力は落ちているのだなあと実感した外泊でした。今日は朝に仕事をしようとデスクに向かい、ひと通りやることを終えてああ疲れたと思ったらまだ一時間ほどしか経っておらず、本当に回復できるのかと軽く落ち込んだりもしました。

昨日一緒に遊んだ長男は、なぜか今朝から熱を出してしまいずっと寝かせつけることになり、そのおかげで子どもと向きあう時間が多くとれたのは、今度の外泊で一番良かったことかもしれません。普段は家に帰っても、どこか病気の父親に遠慮しがちになり、あんまり寄り付いてくれなかったのですが、今回は長男は寝ていなければならないし、ぼくは疲れたらベッドに潜り込まざるをえず、寝ている間にいろいろなことを話せました。

長男は学校でも教室に入ることができなかったり、感情を爆発させたりと、なかなかの問題児で、親もほとほと困ったりしています。困ってはいるけれど、やはり解決のためにはこうして会話をし、心を触れ合うことだと思っています。今年に入って、ぼくはこうして入退院を繰り返し、思うように子どもたちと一緒に暮らせなかったのは、子どものためにもよくなかったし、自分にとってもとても残念なことでした。ほんの一週間あわないだけでも、ずいぶん成長したりしていることに気づきます。

またこうして病室に帰り、子どもたちとはしばらくお別れになりました。でも次帰ってくるときは退院です。退院したら、もっと子どもと向きあおうと思っています。

第2クール第11日 市民レガッタを見に行く

市民レガッタ
今日から明日にかけては、病院を離れて家に一時帰宅することになりました。朝ごはんを食べて、私服に着替え、荷物をまとめて、またぶらぶらと歩いてみようかと思っていましたが、早朝から激しい雨になり、その後の空模様も怪しかったので、嫁さんに迎えに来てもらいました。

今回は割と大丈夫と思っていたものの、だいぶ貧血も進んでいるようで、病院の駐車場までの道のりはだいぶきつかったです。それでも、これで帰って寝てしまうと前回と同じようにダラダラ過ごすだけになってしまいそうなので、午後から退屈していた長男を誘って、松江市民レガッタを見に行きました。

松江市民レガッタは、事前に申し込んだ市民チームが四人乗りのナックル艇を使って、今日明日の二日間、松江市を南北に分ける大橋川でレースを繰り広げます。会社のボート部みたいなガチガチのチームもあれば、即席に集まってとにかくボートを漕いでみようというチームまで幅広い人達が参加しています。ぼくの入院している病棟の看護師さんたちも、チームを作って出場すると前々から聞いておりました。本来なら病棟から眺めて応援するところだったのですが、こうして外出もできたし近くで見てみようと思ったのです。

ところが現場について見ると、雨はやんだものの、強風が吹いて川面には波が立つなかなかの悪天候で、レースは一時間遅れ、スタート地点も変更になりだいぶ中断をしていました。

帰ろうかとも思ったけれど、久しぶりに長男と出かけたこともあり、一緒に買食いしたり、公園で遊んだり、木に止まったセミを捕まえたり、久しぶりの親子の時間を過ごしているうちに、レースも再開され、競技も見て帰ることができました。暑い中だったけれども、しばらく外にいてもなんとか過ごせたわけで、それはずいぶん自信になりました。少しは日焼けすることもできたかもしれません。

遊んでばかりでまだ仕事には全然手をつけていないので、明日は少し仕事をして病院に帰りたいと思います。