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12月診察 芍薬甘草湯を処方される

血液内科も泌尿器科も定期診察が2ヶ月に一度となったので、昨日久しぶりに病院の診察を受けました。思えば、去年の12月の診察時に、血尿を申告して泌尿器科にかかり、結局それがその後の運命を決めたわけで、もう一年経ったかと思うと感慨深いものがあります。

ここひと月ほどの変化としては、腹の筋肉が攣るようになったことです。以前もこの症状はあって、芍薬甘草湯という漢方を飲んでいました。夏の間は暖かいせいかしばらくよかったので、処方をとめてもらっていたのですが、このところの寒さで再び症状が出るようになったのです。

足の筋肉が攣ることは、普通の人でもたまにあることですが、あの痛みが腹に出るのも結構きついものがあります。時間が長引くとかなり疲労することもあって、症状を訴えたところ、今回再び芍薬甘草湯を処方してもらうことになりました。漢方なのでどれほどの効果があるのかはわかりませんが。

血液検査を受けて時間がある間に売店をウロウロしていたら、H先生から声をかけられました。主治医ではないのですが、入院時にはたびたび回診などをしてもらってお世話になった先生です。

おかげさまでだいぶ体調も回復したけれども、半年に一度のCTに運命を託すのは複雑な気持ちです、と告げると「まあ大丈夫ですよ」と言ってくれました。つい言っちゃったりしたのでしょうが「CTで発見しても変化はゆっくりだろうし、もしそうなったら一緒にがんばりましょう」と。まあ、そんなに嫌な気持ちでもありません。普通に会話をしてくれる方がよほど好感がもてるものです。

泌尿器科の検査の時も、病棟でお世話になった看護師さんが、わざわざ出てきて挨拶してくれました。泌尿器科の看護師さんは、病棟勤務であっても、順番で一定期間外来担当になるので、こうして再びお会いできるのはとても嬉しいものです。

ちょっと声をかけてくださるだけで、患者の気持ちも明るくなりますね。

CT検査と耳鼻科を受診する

今日は外来診察日でした。CT検査を行う予定になっていたので、絶食で臨みます。早いものでもう4月の手術から半年が経ったのでした。

手術後、半年に一度の割合でCT検査を受けることになっています。このCT検査によって、転移があるかどうか、腎臓から代用膀胱に至るまで異常がないかどうかを調べることになります。検査自体はほんの数分のこと、すぐ終わります。しかしその数分で後々の命運が定まるとは、なんとも言いようがない虚しさを感じないわけにはいきません。もしここで転移でも発覚すれば、かなり際どい状況に追い込まれるのです。それは、自分ではどうすることもできないのですが、検査に向かうのはなかなか気が重いものでした。

最初に件のCT検査や血液検査を行った後に、血液内科の診察を受けましたが、今日の血液検査ではCRPという炎症反応の数値がかなり高くなっており、そのことについて指摘を受けました。

実は二日前の月曜日の未明に、嘔吐と下痢とがあって、引き続き高熱を発し一日寝込んでいました。熱は幸い一日で引きましたが、その影響がまだ血液検査の数値として残っていたわけです。その前の日は子供達と一緒にかなり無理をして外で過ごしていました。その疲れが内臓に出たのでしょう。まだ、あまり無理はできない身体なのだからと主治医に叱られ、吐き気止めと整腸剤とを新たに処方されました。

その他の血液成分は、先月とほとんど変わることがなく、遺伝子異常も検出限界以下で、白血病については引き続き心配ありませんでした。

次に受けた泌尿器科でCT画像を診断してもらったところ、現状では転移の兆候もなく、尿管や代用膀胱の状態も良いとのことでした。先月まではいびつな形をしていた膀胱も今日のCT画像では球形になっていました。

この膀胱がん由来の転移があるとすれば5年以内と言われています。半年に一度受けるCT検査、都合10回のうち最初の一回目を無事パスしたことになります。ぼくの場合5年生存率は約50%。毎回丁半博打をやるようなものです。次のCT検査は来年の4月。そのたびにこのような重たい気持ちで検査を受けるのかと思うと暗澹としますが、こればかりは運を天に任せて粛々と検査を受けなければならないのでしょう。

ところで今回は耳鼻科にもかかりました。というのも先月ふとベッドに横になっていると、右耳で明瞭に聞こえる秋の虫たちの鳴き声が左耳では聞き取りにくいことを発見したのでした。ひょっとしたら、抗がん剤による副作用が現れたのかと思い、主治医に申告したところ、耳鼻科を紹介されたのでした。

しかしこれは副作用ではなく、もともとあった症状をたまたま再認識しただけだったようです。実は6年前にも頭痛で聴力検査を受けた資料が残っていて、その時も左耳の4000Hz付近の音だけが聞こえにくい状況だったのでした(それより高周波の8000Hzでの聴覚はよいのです)。調べてみると鈴虫の鳴き声が4000Hz、コオロギの鳴き声は5000Hzですから、虫の音だけが聞こえないのは道理なのです。ただ、今回受けた聴力検査の結果は6年前とほぼ同一と言っていい記録だったので、抗がん剤による影響はなかったと結論づけられました。

こちらは騒音性難聴で、もはや治療のしようもなく、また実用上は不便でもないので、これ以上の受診は行わないことにしました。

今日は一日三科を受診し、多くの検査も行ったので、会計を済ませたら昼をまわっていました。月曜日からまともな食事をしていないので、さすがに空腹を覚えましたが、腹具合も今ひとつで外食するのもどうかと思い、あれこれ悩むうちに家に帰ってしまい、結局疲れて午後は休んでおりました。

外来診察日 貧血は改善しました

4週間ぶりに血液内科と泌尿器科の外来診察を受けてきました。退院してからほぼひと月。以前に比べて身体はだいぶ楽になってきましたが、血液検査を行った実際の数値で貧血が改善してくれているかどうか、それが知りたいものです。

結果、血液状態はだいぶよくなってました。白血球も血小板も基準値の間におさまりましたし、赤血球も基準値の4.27にはとどきませんが3.58(×10^6/ul)になり、ヘモグロビンも11.5(g/dl)と3ヶ月ぶりに10gを超えました。もともと赤血球は基準値より低かったので、だいたい入院前の水準まで戻ったことになります。抗がん剤の副作用はこれで終結したのでしょう。

血液の状態が良くなったので、2ヶ月間中断していた白血病治療薬のグリベックを今日からまた再開することになりました。今月も検査していますが、先月の末梢血PCR法での検査では遺伝子異常が検出限界以下になっていて、中断の影響はありませんでした。それならグリベックをやめてもいいのではないかと思いますが、なかなかそういうわけにはいかないようです。グリベックは高い薬なので、また高額療養費制度のお世話にならなければなりません。

ただ状態がいいので、今後診察の頻度を減らしていこうということになりました。こうすることによって、一回の医療費は高額になるのですが、高額療養費のおかげで一定額までの支払いで済み、個人負担額を減らすことができます。泌尿器科は安定してくれば3ヶ月に一度の診察でいいとのことなので、それにあわせて調整していくことにしました。

血液内科のあとに受けた泌尿器科では、エコー検査を行い、特に腎臓に腫れなどもなく順調に回復しているとの診断を受けました。また、手術をしてから半年になるので、来月CT検査を受けることにしました。これからはCT検査を半年に一回程度の割合で受けて、がんの転移がないかを調べることになります。なんといっても最初の5年間がヤマなので、半年ごとに良い結果を祈りながら10回検査を受け切れば万々歳ということでしょう。

今日の受診では、血液の状態が回復したのを実際の数値で確かめられたのが良かったです。

今まで酸素不足で倒れてもいけないからと運動を控えていましたが、これからは少しずつ運動して筋肉をつけていこうと思います。まずは近所を散歩がてら歩くことかな。そのうちにまた自転車に乗ったり、プールに泳ぎに行ったりしたいものです。体力がつけば、またがんだって遠ざけることもできるのではないかと思います。

外来診察

月曜日に退院したばかりですが、今日は血液内科の外来診察が予定されていたので、病院を受診しました。昨日から体の怠さが極まってちょっと歩行するにも息をついておりましたので、今朝の血液検査の結果はあまりよくないだろうと予想をしておりましたが、はたして予想の通りあまり回復に向かってはいませんでした。

全血にわたり基準値よりもかなり低いので、中止していたグリベックの投与再開はもうひと月ほど見送ることになりました。赤血球がなかなか回復していかない状況について聞いてみると、赤血球は血液としての寿命も長いので、落ちるのもゆっくりだが回復もまたゆっくりであると説明を受けました。現在は8gしかないヘモグロビンも来月には9g程度には回復しているんじゃないかという主治医の見立てです。血液内科の先生だけあって、今のレベルでは歩くのもしんどいでしょうと理解はしてくれましたが、この分ではなかなか普通の生活に戻れそうにありません。

続いて泌尿器科を受診しました。受診といっても今後の方針を話し合うだけです。悪いシナリオを想定して、その場合どうするべきかを考えて置く必要はあります。悪いシナリオというのは、代用膀胱のトラブルと、がんの転移再発の二つが考えられます。

代用膀胱のトラブルは、ぼくが入院している間も、何人かの患者さんが救急でやってきてそのまま入院される様子を見てきたので、割と頻度は高そうに思います。何しろ膀胱を構成しているのが腸管なので、内壁の剥離が常にあり、それが尿の中でドロっとしたかたまりとなって排出されるわけですが、詰まって尿がでないなどのトラブルに気をつけておかなければなりません。水を多くとり、排尿回数を多くすればそれだけ薄まるのですが、一方で水分を多く取ればそれだけ尿漏れの頻度もあがるので痛し痒しのところではあります。

がんの転移は、あるとすればリンパ節とか切除した膀胱周辺の臓器に行くことが多いようです。こればかりはCTなどによって視認する所でしかわからないようで、基本的には半年に一度程度CT検査を受けて転移がないか精査するということでした。転移があれば、放射線か今回のような化学療法が選択肢となるようです。早期に発見しなければ、それらの治療はあまり効かないでしょう。こればかりは、運かもしれません。

いずれにせよ来月も受診して体の状態を見た上で、10月ころにCTを撮り、それから3ヶ月程度の頻度で外来診察を行うことになりました。

血液検査があるので朝ごはんを抜いて受診して会計を終わったらもうお昼でしたが、何しろ頭がぼんやりするので、家に帰ってそのまま倒れるように寝てました。焦りは禁物かもしれませんが、思うように動かない身体が恨めしいものです。

第2クール第19日 抗がん剤治療を終えて

今回の抗がん剤治療について、受ける前までは非常に恐れていました。白血病になった十数年前に、抗がん剤治療で苦しむ人達を多く見てきたトラウマがあったのです。しかし、実際に自分がそれを受けることになり、予定の2クールを終えた今、それほど恐れることはなかったというのが感想です。

まず第一に、副作用の一つである食欲不振が、想像ほどひどいものではありませんでした。確かにものを食べられなくなる症状はありましたが、実際に嘔吐するまでには至らなかったし、なにもかも受け付けない期間はほんのわずかしかありませんでした。優れた制吐剤が開発され、吐き気のコントロールは、この十年の間にたいへん進歩したそうですが、その恩恵にうまくあずかることができました。

第二に、確実にあるだろうと思われていた脱毛がぼくにはあらわれませんでした。2クール終わった今も頭髪はありますし、抜け毛が極端に増えた兆候はありません。たかだか脱毛とは申せ、外見の変化は想像以上に精神的ダメージを食らうものです。以前にインターフェロンの副作用で髪の毛が抜けたときは、まだ若かったこともあって人生が終わったかのような気持ちになりました。今回はある程度覚悟していたのですが、それがなかったので気持ちの動揺がなく毎日を過ごせたのは間違いありません。

しかし、骨髄抑制による貧血の進行は意外とあなどれませんでした。もともと長年にわたって白血病治療を行なってきたせいか、骨髄抑制が進んでおり、特に赤血球は平時でも基準値以下だったのですが、そこに抗がん剤が入ることで、全血にわたり骨髄抑制が進行したのです。白血球が2千を切ったり、血小板が5万を切るなど、要注意水準まで下降したこともありましたが、それらは時間の経過とともに回復し、心配な期間は短くて済みました。しかし、赤血球の減少だけは今もなお持続し、基準値下限の6割ほどと、かなり低い水準まで落ち込んだままです。その結果、少し動いただけで息切れするなど身体の倦怠感が抜けず、今後の日常生活の懸念材料になっています。

この貧血については、もう少し様子を見て血液内科の先生とも相談しながら対処を考えることになろうと思いますが、回復には時間がかかるかもしれません。しばらくは、家に帰っても休み休み生活をすることになりそうです。

副作用という点では、以上のように骨髄抑制を除いては想像よりも軽微であったと言えます。ただ今回の抗がん剤治療は、転移した腫瘍があるわけでもなく、あくまで予防措置としての治療だったので、効果測定ということがありませんでした。ある意味では腫瘍に効果があったかどうか心配する必要もなく、副作用だけに注意しておけばよいというという安楽さがあったのですが、効いているのかどうなのかわからないというのも、何かもやもやしたものが心に残る毎日でもありました。

考えようによっては、ただ身体をいじめて、いたずらに社会復帰を遅くしてしまったということもできます。また、前々から感じたように病院にいることが日常になりかけて、社会復帰を恐れる気持ちにつながったようにも思います。これが例えば、すでに転移があって化学療法に賭ける日々ならば、かなり緊張感のある毎日となったはずですが、そのようなことがないだけに、状況に甘えた日々ではなかったかと反省しています。一方で、このモラトリアムの期間は、人生を見つめなおすいい機会でもありました。普段これといった信仰をもたないぼくにとっては、病や事故など非日常世界に放り込まれて、ようやく自分の生き方を見つめなおすことができたのです。そこでぼくは何かしら自分の生き方について考え得ることができたように思います。そして、これから残された人生のうちに、それを実践していきたいと思います。

明日は、いよいよ退院をします。いずれまた振り返るときもあろうけれど、明日からは前を向いて生きなければなりません。

外来診察を受ける

退院してはじめての外来診察の日になりました。採血をしてから、血液内科と泌尿器科のはしごになります。

血液内科の先生とは、一番最初の入院からもう17年からの付き合いでもあります。
「昔は、白血病の患者さんががんを発症するなどあまりなかったですからね。これほど長く生きられなかったですから…」と先生は言います。

そうかもしれません。グリベックのおかげで、もはや慢性骨髄性白血病は、ほとんどの方がそれが原因で死ぬ病気ではなくなりました。また、骨髄移植を選んだ患者さんも成功例が増えて10年20年長生きするようになり、白血病患者が他部位へのがんを発症するということも増えてきたとか。特に骨髄移植では、GVHDなどを防ぐために免疫力をある程度まで弱くする必要があるので、よけいにがんリスクが大きいということもあるようです。なかなか皮肉なものだなあと思います。

血液検査では、血小板は22万と通常値まで回復した一方、白血球は3.4、赤血球は3.0と退院時よりも下がってしまったのが気になりました。赤血球の中でも酸素を運ぶヘモグロビンも9.1でなかなか10gを超えてきません。依然として貧血状態が続いています。第2クールは、あまり効果はないかもしれないけれど、グリベックの服用を中止することにし、主治医からも了承を得ました。

続いて泌尿器科に行き、血液検査の具合について尋ねましたが「ちょっと少ないけれど大丈夫でしょう」ということで、予定通り16日から入院をすることになりました。

「第一クールを終わってどうでしたか」と聞かれたので、思っていたよりもずいぶん楽に過ごせたことを言うと「またおんなじようなものです。大丈夫です」と後押しをされました。ぼくもなんとなく乗り切れそうな気もしています。

とはいえ、家に帰ってくるやどっと疲れが出て、居間の硬い床に横になってしばらくうとうとしてしまうくらい、まだ一日中起きていることができません。もうあと二週間のうちに、体力を回復して万全の体調で入院に臨みたいものです。

運転免許更新をする

7月1日の青空
7月に入って真夏を思わせる青空の下をドライブして、くにびき大橋を渡ると宍道湖にはしじみ漁の船が多く出ていました。視線を右に移すと白い病院が朝日に映えてそびえていました。つい先日まであそこから宍道湖の船を見ていたのだと思うと、なんだか不思議な気がします。

今日は、運転免許の更新に行ってきました。短い退院の間に、やるべきことはやっておかないといけません。運転免許は写真が必要ですし、髪の毛が抜ける前に早めに行っとくべきだと思いました。まあ、脱毛に備えてもうずいぶん短髪にしているのですが。

受付が始まる8時半過ぎには到着し、お金を払い、適性検査をし、写真を撮って9時過ぎには講習が始まりました。

平成元年に普通免許を取得したので、はや免許を得てから四半世紀、このたびようやくゴールド免許になりましたので、講習時間も30分。これなら体力がなくても耐えられるというものです。30分の講習はテーブルもなく、ただ椅子に座って、講師がこの五年間の法改正について説明をするのをスライドをみながら聞くだけで終わりました。

最後に新しい免許をもらい、まじまじと見ました。次の有効期限の「平成30年」という数字がとりわけ重くのしかかってくるような気がしました。5年というのは短いようで意外と長いものです。それは5年前の免許に写った自分の顔と、今日の顔との変貌ぶりが物語っています。

5年後の生存率が半々のぼくにとっては、これから5年後、その平成30年は、とりあえず生きのびる目標の年になるのだと思いました。運転免許更新ができるかどうかというのが、目安になるなんて、わかりやすくていいじゃないかと思います。

大病をすると5年一区切りというのが本当に身にしみます。白血病の時に感じました。5年という歳月が経つと、病気と戦うという気持ちは消えて、病気とともにあるのが日常になるのです。毎日薬を飲むのは三度三度食事をすることと同じになり、ただちょっと血液が他の人とは違う普通の人になる、そういう心境に達するのでした。

だからまた今回も、生きていれば、5年後にはきっとこの身体が当たり前になっているのだろうと思います。病気のことに煩うこともなく、毎日の生活に悩みながら生活をしていることでしょう。そういう普通の人になるのが、次の目標です。