カテゴリー別アーカイブ: 旅や行楽のお話し

熊本にきてます

熊本にやってきました。熊本地震から一年余、災害時にどのように業務を継続したか学ぶのが目的です。

松江を7時頃に出発するやくもにのって、12時には熊本についていました。さすが九州新幹線のスピードはすばらしいです。本番の研修は明日で、今日は移動日のため、到着して昼ご飯を食べた後に、参加の皆さんと熊本城に行ってきました。

熊本城は7年前に訪ねたことがあり、そのときの姿を知っているだけに、今なお震災の被害が残る状況に衝撃を受けました。熊本城の天守に直接向かうことはできず、周囲をまわるように、加藤神社まで歩きました。

戌亥櫓戌亥櫓の現状です。一本柱が支えています。

工事中の天守天守は足場に囲まれて工事をしていました。まだ再生には時間が必要なようです。

かつての熊本城天守7年前の写真です。いつか復活するといいですね。

小泉八雲旧居その後、小泉八雲旧居にも行ってきました。小泉八雲は松江になじみ深い人ですが、その滞在はわずか1年。その後は熊本に行ったのです。こちらもだいぶ被災したということで、まだ二部屋しか公開していませんでした。

しかし熊本は暑かった…。だいぶ歩いて体力を消耗したので、夜の馬料理はとてもおいしかったですw
馬料理の数々

明日もう一泊して明後日に帰る予定です。

まがたまの里伝承館で宝石探しと勾玉つくり

日曜日で退屈をしている子供たちが、どこかに連れて行けと駄々をこねます。天気もあんまり良くないし、ぼくもまだ本調子ではないし、屋内で何かできるところということで、玉湯町にある、いずもまがたまの里 伝承館に子供を連れて行ってきました。
\"まがたまの里伝承館\"
入り口には、勾玉の展示などがあり、店内ではめのうなどの貴石を使ったアクセサリーが売っていたりという、まるっきり観光客向けの施設ではありますが、我が家の子供は結構ここに来るのが楽しいみたいです。
\"こんな宝石がとれるらしい…\"
子供たちが楽しみにしているのは宝石探し。「宝石探し体験館」という施設があって、ここには水槽の中に宝石が混じっている砂利が敷き詰められています。ここでお金を払うと制限時間の間、宝石を探しまくることができるというわけです。料金はおとな800円、こども500円。制限時間は30分。受付を済ませると浅いスコップとビニール袋を渡されて、一生懸命宝石を探すのですが…。
\"宝石を探す\"
これがなかなかみつかりません。宝石は磨いたものが入っているので目立つのは目立つのですが、埋まっている数が少ないのか、そう簡単には見つからないようにできています。それでも探すということが楽しいのでしょう、長男は特に喜んでやっていました。
\"とれたのはこんな石。\"
制限時間がきて、拾えた宝石の数が少なかったときは、係の人がはかりに乗せながら補充してくれるので、全部で30個くらいはまずもらえるようになってはいます。
\"まがたま作りに励む\"
その後、嫁さんと長男は勾玉作りの体験をしにいきました。こちらは蠟石というやわらかい石をヤスリ等で削り、きれいに磨いて勾玉を作る体験ができます。だいたい作業時間は1時間くらい。
\"松江ラーメン\"
その間、ぼくと下の子は一緒にラーメン食べてました。
\"完成したまがたま\"
時間になって迎えに行ってみると、自分で作った勾玉ネックレスを首にかけた長男が自慢気に出てきました。丁寧に指導してもらったようで、なかなか格好良くできています。上手くできなかったりしたら途中で投げ出してしまうような子供ですから、本当はちょっと心配だったんですよね。でも、得意げなその様子に素直によく頑張ったなあと褒めてやりました。

しかし、勾玉の素材と授業料で一人800円と聞いていたのですが、ネックレス用の紐が200円、飾りのビーズが一個50円とか80円とかで、結局二人で3,000円以上かかってしまいました。なんかうまい具合にお金を吸い上げられた感じではあります。それでも嫁さんの話では、勾玉作りはいい体験だったようです。

今までなかなか家族サービスできなかったけれど、今週はなんとか子供たちにも喜んでもらえたかな。午後からは爆睡でしたが…。

三瓶温泉「鶴の湯」


今からもう30年近くも昔になりますか、高校生の時にまあどんな経緯だったか女子に誘われてJRCという、超マイナーなクラブに入っていました。JRCとは青少年赤十字のことで、いろいろボランティアとかやるんですな。当然部員は女の子ばかりで男子はぼくだけという、今から考えればたいへん恵まれた環境でしたが、当時はなんとなく恥ずかしくてコソコソしていました。ああもったいない。

で、そのトレセンが三瓶山であるというので参加したことがあるんです。これは県下のJRCに参加している子供たちが合宿をして、赤十字の理念を研修するというわけです。まあ女の子が多いわけですが、ポツポツと男の子もいました。

今となってはすっかりその研修内容やらは覚えてもいないんですが、ただ強烈に覚えているのは三瓶の温泉のことです。せっかくだから温泉に浸かれということで、地元の浴場の入浴券をもらってトレセンの間、その温泉に入ったんですよ。

本当に小さな公衆浴場だったのですが、5、6人も入ればいっぱいになるような小さな浴槽に、すごい量のお湯が掛け流しで流れ込んでいて、お湯も赤茶けたにごり湯なんです。浴槽もそのまわりの床もそのお湯の色に染められて変色していて、こんな温泉もあるのかとびっくりしたのでした。時間帯もあるのでしょうが、湯船は独占できるし、ずいぶん堪能したことを覚えています。

先日、子供たちと一緒にサヒメルに行った帰り、ふとそんなことを思い出して、行って見ることにしました。

その名は志学温泉。サヒメルは三瓶の北側ですから、周回道路を回って志学まできました。案内表示に沿って街中に入って行くと、道路沿いに「鶴の湯」という看板を出した浴場がありました。ここだったかなあ、まあいいや入ってみようということで車を止めて訪ねてみました。

店の入り口には手湯と称して石の器が出してあって、そこに滔々と温泉湯が注がれています。そこからあふれた湯は側溝を通り、溝へと落ちていくのですが、三瓶温泉特有の赤茶けた色が染み付いていました。のれんをくぐると右手に自動券売機があって、これは時代の趨勢というものでありましょう。大人300円。以前番台だったところに体躯の良いおじさんが扇風機に座りながら「いらっしゃい」と声をかけてくれまして、そこに入浴券を入れる箱があって、さきほど買った券を入れるのです。

狭い脱衣所は、ところどころ扉の壊れているところもあるけれど鍵付きの木製ロッカーがあり、引き戸をひけば浴場になるのですが、夏場ということもあって引き戸は開けっ放し。浴場の窓も開けっ放しであります。

浴場の真ん中には10人はとても入らないような大きさの長四角い浴槽があって、満々と赤茶けた湯があふれています。ぼくが昔行ったところは円形の浴槽だったので、ああここではなかったのだとその時わかりました。浴槽を取り囲むように洗い場があって、ここは水道の蛇口のみ。床も浴槽も茶色に染まっています。

右手の奥には、壺があってそこに湯がそそいでいます。いや、そそいでいるなどという優しい言葉は間違いで、直径5センチもあろうかというパイプからどうどうと音を立てて湯が流れ込んでいるのです。これをかけ湯に使えとのことでした。湯量はたいへん豊富なようです。

湯に浸かると夏場にはちょうどいいほどのぬるい湯です。子供たちは色のついたお湯に大喜びで、やめろという声も聞かずにもぐったり、泳いだりおおはしゃぎでした。先客のおじさんは、ぼくが子供らを叱っても「まあまあ子どもはうれしいもんだ」と気にする素振りもなくほっとしました。しばらく浸かっていると、あとから二人三人とお客さんがやってきて狭い浴場はいっそう狭くなりました。若い旅の人だと思いますが、お風呂に入ろうとして滑って前のめりに浴槽に突っ込んでしまい、それを地元のおじさんが「ここは足元がみえないからな、気をつけないといけない」と笑ったりして、なかなか和やかな入浴になりました。

久しぶりに三瓶温泉を堪能しました。長男は少しアレルギーでいつも肘のあたりを掻いているのですが、温泉に入ったあとは「痒いのがなくなった」と喜んでいました。温泉地に最近は効能が書かれていないのですが、この温泉は塩化物泉で皮膚病などにも効果があるようです。

あとから調べて分かったのですが、ぼくが高校生の頃行ったのは亀の湯のようで、今も営業しているそうです。志学はすっかり寂れた街で、温泉街らしいという風情もありませんが、なぜだかほっとする浴場で、また機会があれば今度は亀の湯にも訪ねてみたいと思いました。


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潜戸遊覧船に乗ってきた


土曜日、天気晴れ。こうなると子供たちが黙っていません。どこかに連れていけの大合唱に押されて、仕事を嫁さんにまかせて出かけることにしました。

風も穏やかなので、ふと船に乗ってみようと思いました。子供たちに提案してみると大喜びです。行き先は内緒にしました。

市内からは車で20分ほどのところ、島根町加賀というところにマリンプラザしまねという立派な建物があります。一時期高速船レインボーが就航して隠岐と本土をつないでいました。今はここから潜戸遊覧船が運行しています。この潜戸遊覧船に乗ってみることにしました。


運行は9時から16時まで、1時間ごとに出航するそうです。かつてレインボーの切符売り場だっただけに立派な窓口がありますが、今はおみやげ品などがずらりとならんでいます。


料金は中学生以上1200円、小学生600円。未就学児は大人1人に対して2人まで無料で乗船できます。遊覧時間は約50分とのことで、ちょっと高いかなと最初は思いました。


夏には海水浴やキャンプで賑わう場所なのですが、5月の半ばはなんとなく人も少なめ。岸壁に釣り人も何人かいましたが、釣果はあまり良くない様子。施設には数年前から猫が住み着いているそうで、とても人懐こいやつです。

窓口には子供用から大人用まで救命胴衣がずらりとならんでいて、それを着込んで船に乗り組みます。乗客は、僕ら親子と他に3人ほど。あとは船長さんとガイドさんの二人が乗って8人で出港しました。貸切のような感じです。


船は最初に湾内をぐるっと巡ってから沖合に出ていきます。最初に向かったのは旧潜戸。ここは断崖が大きくえぐられて洞穴となっています。ここは水子を供養する場所として有名で、あの世と結ぶ賽の河原と呼ばれているそうです。ここに上陸するそうです。


船は近くの岸壁に接岸します。この波止場にはお地蔵さんが祀られています。ここから旧潜戸に参ります。


岸壁からトンネルが掘られていて、ここから洞穴へと向かうことができます。


トンネルの中にもお地蔵さんがいくつも祀られていて、かたわらにはぬいぐるみなども備えられています。


トンネルを抜けると賽の河原伝説の案内板があります。この伝説から、今では全国から水子の魂がここに集まってくると言われるようになりました。その供養をするためにお参りする人も多いようです。


洞窟の中から外をみます。ここから入る光で洞窟の中はぼんやりと照らされます。


洞窟の中にも何体もお地蔵さんが祀られています。そばには、おもちゃだったり、ランドセルだったり、そんなものもお供えしてあります。


あちこちに小さな石の塔ができています。ぼくたちも落ちている石を積んでお参りしました。


洞窟の最奥部から外を望むと得も知れぬ面持ちになります。霊的なことはあまりわかりませんが、やはり空気が重くて胸が苦しくなる感覚を味わいます。下の子とかはだいぶ敏感なのか、怖い怖いと言っていました。「ここは大きくなれなかった子供たちがいるのだから、君等は育っていることに感謝して石をつまなければいけないよ」と言いました。それくらい厳粛な空気にあふれていました。


ひと通り洞穴をめぐって、再び乗船し、新潜戸に向かいます。新潜戸は洞門になっていて、船はここを通り抜けます。ここは神話のお話しです。この地の神様である佐太大神(さだおおかみ)が産まれるときに母親である支佐加比売(ささかひめ)は流れてきた黄金の弓矢でこの暗い洞穴を射抜いたところ、岩を貫いて輝き、その故にこの地が「かが」と言われるようになったそうです。


この入口からまっすぐ正面にも洞門のある島があって、的島といいます。支佐加比売が射抜いた時にその先の島も射抜いたので、あいた穴だそうで、佐太大神はこの島を的に弓の修練をしたそうです。


洞門の入り口は大変狭いので、なるべく船の中心によってくださいとアナウンスされました。入口付近では水がパラパラと落ちてきます。この水はお乳の水といって、乳がでない女の人が浴びるとお乳がでるようになるとのことです。入り口は大変狭いものの、中はとても広く、よく声も響きます。子供たちは「やっほー」とか言って大声をあげて楽しんでいました。

洞穴をでると、近くの島を巡って港に帰ります。最初乗船料はちょっと高いかなと思ったのですが、けっこうクルーズも楽しめて上陸して洞窟内部も見学できるのでいい体験でした。もう少しお客さんがいるかなあと思っていたのですが、いい天気だったのに少なかったのは意外です。去年第三セクターを解散して、社団法人としての運営がはじまったと聞いていますが、もう少し観光客が増えてくれればいいのになと思いました。うちの子供たちは随分喜んだようで、また来たいと言っていましたよ。

潜戸観光遊覧船の情報はこちら
潜戸観光遊覧船~神話と神秘の郷・島根半島の景勝、島根町~

鬼の舌震と玉峰山荘の温泉


子どもたちが家にいる土曜日。爺婆に子どもの面倒を見てもらって仕事をしていましたが、どうやら派手に兄弟ケンカをしたらしく「面倒見切れないので、どっか連れていけ」とのお言葉に従って、仕事をまかせて子どもたちを連れ出すことになりました。

幸い天気も回復してきたので、ちょっと紅葉には遅いかなと思いつつ、鬼の舌震に行ってきました。

奥出雲の方はめったにこないので、道も定かではなかったですが、大東から南へ折れて山道を通りなんとか三成までドライブ。鬼の舌震いは、ここを流れる大馬木川にあり、大きな岩が川の流れを複雑に変える渓谷です。名前から鬼も震えるほど怖い場所なのかと思いきや、お姫様を慕ったサメ(ワニ)が夜な夜な日本海からさかのぼってくるので、この場所を岩でふさいでのぼれなくしてしまい、ワニが慕ったが転じて鬼の舌震になったそうです。

松江の方からやってくるとだいたい車を寄せることになる入り口の宇根駐車場から行ってみたところ、なんと遊歩道整備のために工事中で入れなくなっています。来年の春までこちらからは通行止だそうです。「来た意味ないじゃん」と憤る長男をなだめつつ地図を見てみたら、奥の下高尾駐車場から入れるとのことでそちらに向かいました。

はじめてこの下高尾駐車場に車を入れると、観光バスもきていてなかなかの盛況です。テントも出ていて、地元の方が舞茸ご飯やナメコ汁を販売していました。ちょうどお昼頃で、腹ごしらえをしてから渓谷に向かうことにしてご飯を食べていたら、焼き椎茸もサービスしてくれました。

渓谷はやはり紅葉も終盤。カエデなどはまだ赤く葉が残っていましたが、そのほかはたいてい散っていました。

写真を撮っていたら、長男が「ぼくも撮りたい」というので一眼レフを渡すと、これがまた撮りまくること撮りまくること。しかもその小さな身体で、ポーズをつけてしゃがんだり「木が邪魔なんだよな~」とか言いながら場所をずらしたりするもんですから、他の人がにやにやして見られるわけです。いささか恥ずかしくもありますが、親から見てもおもしろいのですから、仕方ない。それでも途中で見つけた珍しいクモなどはけっこう上手にとれていました。

工事中の行き止まりのところまで歩いて、それからまた引き返したのでけっこう歩いて疲れたのですが、今度は「温泉に行きたい」というので、亀嵩の玉峰山荘に行きました。ここは宿泊施設なのですが、日帰り温泉入浴もできるようです。先日、女流将棋の倉敷藤花戦がここで開催されました。

入って靴をロッカーに入れてスリッパに履き替え、右手の方に進んでいくと入浴施設があって、券売機があります。大人500円、子ども200円。砂風呂や家族風呂などもあって、なかなか充実した施設です。あとから考えたら家族風呂にした方がやすかったかもしれない…。また今度くるときには聞いてみよう。

泉質は単純アルカリ温泉で源泉の温度は29.5度と低め、加温しているようです。脱衣場のロッカーは鍵付き。浴場には、サウナやジェットバス、水風呂もあり、もちろん露天風呂もあり、なかなか豪華でした。

しかし、いつもそうなのですが、うちの子どもは風呂からあがるのが早い…。せっかくお金出して入ったのだから、もう少しゆっくりしていけばいいのに。

帰りは布部を通って広瀬から八雲に入る432号をそのまま走って帰ってきたらもう夕方。でも久しぶりに家族連れで出かけたので、子どもたちもそれなりに満足したようです。いい家族サービスになりました。

海へ

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梅雨明けしてしばらく、いい天気が続いています。もうそろそろ子どもたちも外で遊びたくてうずうずしている感じ。7月は前半にとてつもなく忙しくてかまってやれませんでしたが、土曜日には久々に子どもたちを連れて今年初めて海へ行ってきました。

お昼前にでかけて、まずは森山堤防に行って魚釣り。サビキで竿を入れると、ぼちぼちではありますが釣れ始めました。小アジに混じって、子サバもけっこう釣れて、柔らかそうな身がこれはこれでなかなかうまそうです。型がわりと大きくて、ちょっと針が小さかったかもしれません。

サビキに飽きたら、今度は投げ釣り。何が釣れるかわからないのがいいところですが、最初はメゴチばかり。食べられるのでいいのですが、どうもトゲとぬめりがなじめません。あとはキスが2匹に、セイゴの小さいのと、エノハが1匹。

サビキ用のアミエビがなくなったところで引き上げようと思いましたが、今度は泳ぎたいというので、美保関に行きました。

去年も行ったところですが、フェリーターミナルの反対側の岸はちょっとした海水浴場になっています。一件民宿もあって、なかなかお客も多かった様子。けっこうたくさんの人がきてました。とはいえ、有名どころの海水浴場よりは少なく、穴場的な場所になっています。

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北に回ると岩場があって、ここは潮だまりのような浅い場所がところどころにあるので小さい子ども連れでも安心して連れてこられます。魚や貝やカニがいるのだから、やっぱり岩場の方が子どもたちも興味があるみたい。

去年までは怖くて海で泳げなかった子どもたちも今年は進んで水に入っていくことができました。特に長男はすっかり水に慣れて、ちょっとした深場でもしっかり浮いて、生き物を探しています。ぼく自身は小学校2年生まで全然泳げませんでしたから、この成長ぶりには本当に驚かされました。

まだ帰りたくないという上の子をなんとか説得して帰途についたらもう夕方。子どもたちはすっかり日焼けしてあとがたいへんそうです。ぼくは海には入らなかったのですが、腕と頭としこたま日に焼けました。そしてしばらくは魚メニューが続きそうです…。

旅の終わりは列車で

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出張で石川県金沢市に行ってきました。今回なぜか羽田経由の空路で行き来する日程だったのですが、帰り道にぼくだけ東京でおろしてもらいました。

旅に出ることがあまりないぼくにとって、こういう機会はめったにないので、くも膜下出血でたおれた東京の親戚のお見舞いと、大阪にいるtwitterの友達をぜひ訪ねてみたかったのでした。

そしてもうひとつ理由があります。ぼくは若い頃から鉄道の旅が大好きなのです。若いときは、一筆書き切符というのですが、松江からぐるっとまわって東京に、しかも鈍行でいったりしました。

飛行機の旅ももちろん好きです。鳥よりも高く飛ぶなんて滅多にできません。いつもよりも濃い青空やミニチュアのような建物を見るのは新鮮です。なによりあっという間に目的地に着きますし。

それ以上に鉄道の旅がなにかしっくりきます。なぜかなあと考えていました。

長旅の最後に岡山からやくも号に乗って外の景色を眺めながら、それがわかってきたような気がしました。

旅慣れしていないぼくにとっては旅は非日常の世界。新鮮な景色、初めて見る食べ物、いつもと違うベッド、いろんな人との出会い…気持ちが高揚した楽しい時間。でもそれがいつか終わることを知っています。

車窓から眺めるとそこにはたくさんの家々があって、そこには一人ひとりの日常があって、そこで毎日生活をしている人たちがいます。ぼくは列車の窓から非日常世界の傍観者としてそれを見ることができる。

やがて列車は人家まばらな谷を越え、山の中を走っていきます。分水嶺を越えて川の流れる向きが変わると、少しずつ見覚えのある景色が現れます。やがてまた人家が増え、街並みが見えてきます。しかし、今度は傍観者としてではなく、その土地に縛られた生活者としてその景色が見えてくるのです。

非日常から日常へ、その間に感じる寂寥感がたまらないのです。それは寂しく、切なくもあるけれど、だから余計に旅していたことを強烈な記憶として脳裏に焼き付ける、自分なりの儀式なのかもしれません。

飛行機の旅は、突然非日常の世界から現実の世界に戻される気がします。目的地から目的地へ。多くの人にとっては旅は特別なものなのでもないのかもしれません。

でもぼくはそこに感傷を持ち込みます。いつもと違う日々が終わるとき、そこに飛行機よりも長い時間とうつろいゆく車窓からの景色がぴったりくるのです。

旅の終わりは列車で。たまにしか旅に出ないぼくのささやかな望みです。