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忙しきことはよきこと哉

今年に入ってから運命の歯車が回り始めたというか、公私ともにあらゆることが自分のまわりで起き上がり、それを必死になってこなしているうちに、いつの間にか年の後半になってしまいました。

特にこの8月から、別の会社と業務を提携して、新しい体制で仕事にとりかかることになり、かなり切羽詰まっています。あれよあれよという間に、新体制まで一週間を切りました。設備工事の打合せをし、提携先との事務作業のプロトコルを作成し、新しい設備のオペレーションをどうするか、お客様へのプロモーションをどうするか、それらを順番に決定していかねばなりません。

もう一つ、今月末と来月の初めにイベントがあって、そちらの準備もあります。自分が企画を出してしまったような事業なので、なんとか責任を持ちたかったのですが、今抱えている仕事との兼ね合いが難しくなってしまい、同業の仲間に助けてもらうことにしました。とはいえ、なんとか成功させたい思いもあり、それなりに準備を進めていかねばなりません。

諸々のことに追われ追われて過ごしてきましたが、今日は7月最期の日曜日。外部との交渉ごともなく、工事も休みで、少しなにかぽっかりと穴が開いた時間ができました。この時間に勢いをつけて、このご無沙汰なブログに、今の気持ちでも書いておこうと思います。

なかなか降りてこないアイデアや、上手くいかない交渉ごとや、安楽な時間が持てないことへのストレスがあって、感情的にも高ぶったこともありましたが、本当は、これだけ忙しく過ごせることは、ものすごく幸せなことだなあと思わずにはいられません。

思えば、2年前の今頃は、抗がん剤を体に入れて、吐き気と貧血とにさいなまれて、毎日病院のベッドで過ごして仕事どころではありませんでした。昨年は貧血をかかえながら、このままではいけないと体力をつけるために、ぼちぼち歩いたりして、リハビリをする日々でした。

それから、まがりなりにも普通の日常生活が送れるようになって、仕事もできるようになったのは幸せなことです。しかし、それ以上に幸せを感じるのは、周りの人たちが再びぼくに仕事を任せてくれるようになったことなのです。

たとえ自分は大丈夫と思っても「あいつは病み上がりだし、いつまた倒れるともわからんから、重要な仕事は任せられないな」と思われたらどうでしょう。今なお、悶々とした日々を過ごしていたかもしれません。けれども、ぼくの周りの人たちは、この病みあがりの身に、再び大事なプロジェクトなどを任せてくれたのでした。

まことに人間はわがままなものです。「無理せず休みなさい」と言われるよりも、「いつまでも病人面なんぞしないで、仕事せいや」そうやって尻をたたいてくれることのほうが、今のぼくにとっては力になる言葉なのです。

その期待に精一杯応えるためにがんばることで、日々生きていけるわけですし、生活もまた開かれましょう。そしてそれこそが、自分が癒えたことへの自信となるように思うのです。

日記を一年書くことができた

一年間に書きためたノート
小商いをしていると、最後の最後まで仕事なので、なかなか年末という気持ちになれませんが、一応今年最後のエントリーと言うことで、一年をふりかえったようなことを書きたいと思います。

今年の最初に紙のノートに記録をつけていこうというエントリーを書きました。

今年は生きた証を記録をしていこう | fumiton.nyanta.jp

それから一年が経過して、紙のノートに記録をつけることが、どうやら習慣化できたように思います。若い頃から日記の類いに何度も挑戦しては、しばらくすると放り出してしまった自分にしては、今年はよくも続けられたものだと思います。

継続できたのは、その都度書いていったから

先のエントリーを書いたときには、なにやら悲壮感もありましたが、実際のところ習慣化できたのは、いつもノートを手元に置いて、何かあればその都度ノートに書き付けるようにしたからだと思います。

基本的に見開き一ページを一日に使い、時系列に、あったことや感じたことを走り書きするだけです。誰と会った、どんな電話があった、子どもたちの様子はどうだった、どんな作業をした、そういうことを箇条書きでもいいのでその都度書き込んで一日が終わります。

従来の日記のように、一日を振り返ってその日の最後にまとめて書いていては、今回も途中で放り出していたことでしょう。

それだけのことでも、あとから見直すと、どんなことがあってどういう思いで過ごしていたかということがよみがえります。一年前のノートを時々めくったりすると、まだまだ病から癒えず悲壮感があったことなどがわかったりします。記憶の中でついこないだのことがずいぶん昔のことだったり、ずっと前だったと思っていたことが案外最近の出来事だったりすることを知ったりします。

途中で、日々の記録をデジタルにしようか迷ったこともありましたが、最終的には紙のノートに筆記をすることに落ち着いて、一年間で使ったノートは今のを含めて5冊になりました。

A5のツバメノートがちょうどいい

一番最初はノートカバーを買ったときについていた30ページのもの。次にツバメノートに変更して、二冊目は30枚の厚さ、三冊目は60枚、四冊目は100枚となり、今も100枚の厚さのノートを使っています。

ツバメノートは、万年筆で書いたときに裏写りせず、インクもにじまず、すっと紙に染みこんでいきます。ツバメノートに限らず、万年筆で書ける上等なノートはほかにもたくさんありますが、たいてい結構な値段がするものです。ツバメノートは、手ごろな価格で買えるのがよいので、使い続けています。

ノートの厚さは、毎日の使用量を考えると厚い方がいいかと思いましたが、100枚ものだとノートカバーに一冊しか収まらず、最初や最後のページの近くはやっぱり少し書きにくく、厚すぎたかなとも思わないでもありません。次からは60枚ものを2冊ノートカバーに入れようかなと思います。

ノートはA5サイズで、コクヨのSYSTEMICノートカバーに入れてあります。一般的なB5サイズのノートは選択肢も豊富ですが、持ち運びや、机の上を占有する面積を考えると少し大きいように感じています。また、見開き一ページが一日分という情報量は、自分の生活ペースからいって、ちょうどいいくらいです。B5だと広すぎるし、A6では狭すぎます。

小ぶりのボディバッグにノートとKindleかkoboかiPad miniを入れて、iPhoneを身につけて外出すれば、読んだり書いたり調べたりは一通りできます。このように常に手元にノートを置いておくと、なんとなく安心するようになりました。

紙のノートの効用

日記をデジタルで残すか、アナログで残すかというのは、ずいぶん迷っていましたが、こうして一年間続けて、古いノートをめくっていると、紙の記録というのもなかなかよいなとあらためて思いました。

デジタルでの記録はピンポイントでの検索が可能になります。キーワードを入れれば、即座に該当するものが現れます。いつどこで何をしていたか、きちんと入力さえしていればあとから調べるのは容易です。

紙のノートではそういうわけにはいきません。けれども、全体像を把握することは紙のノートの方が得意です。紙のノートに書かれているその日の文字の丁寧さ、間の取り方などを見ていると、その日の気分や、書かれていないことまで思い出すことができます。

デジタル記録をさかのぼってふりかえることは、ぼくはなかなかできませんが、紙ノートであればときどきぱらぱらとめくることがあります。

日記というのは、いつどこで何があったかその事実よりも、そのときどんな気持ちであったかというのを、自らふりかえるところに意味があるように思います。そのためには、ぼくの場合は、手書きの紙のノートの方があっているようです。

続けてみてはじめて、日記のおもしろさや大切さがようやくわかってきたようです。せっかく身についた習慣なので、来年も紙のノートに記録をとることを続けていきたいものです。

自転車に乗って出かけてみた

愛用の折りたたみ自転車
月はじめにはATMめぐりをしてあちこちの銀行の通帳記入をすることにしていますが、ふと自転車で行ってみようと思い立ちました。市内中心部まで往復したって10キロやそこら。普通なら、たいした距離じゃないのです。しかし、ようやく数キロ歩いても息が切れて足がだるくなるような今の自分には、果たしてできるかどうか。

だけど、身体の不具合を言い訳にして動かないでいると、どんどん弱っていくばかりではありませんか。アレルギーが出たり、便秘になったり、そういう症状が出るのは「貧血でしんどいから」と、歩くことすら怠けていたせいなのかもしれません。最近ようやくそのことに気づきました。人間たるもの、多少無理をしてでも体は動かさないといけないのです。

自転車で行くならロードバイクを出そうかと嫁さんに言われましたが、断って折りたたみ自転車で行くことにしました。途中で挫折したときは車で迎えに来てもらわなければなりません。それに、できるだけゆっくり走って、時々休憩して、小径車ならそういう走り方をしても格好がつくというものです。

10時半ころにスタートして、ぐるっと市内を巡って昼ごはんを食べ、どうにかこうにか帰ってきたのは13時過ぎ。走行距離約14キロ。自転車に乗っていた時間は約50分。自宅前の最後の坂道は、もうヘロヘロで、息も上がり、ギリギリたどり着いたという感じですが、それでもなんとか帰ってこられました。

まだまだ体力的には無理があったのは否めません。最終盤はよほど疲れて下半身の力がなくなったせいか、少量の尿漏れをしてしまいました。なんたって普通の膀胱ではないのですから、ある程度覚悟はしていましたが、やっぱり屈辱的ではあります。

それでも走っている最中は、自転車ならではの楽しさを久しぶりに味わうことができました。川沿いを走るとほのかな潮の香りがただよってくるんです。そのにおいをかいだときに、ああ自転車は楽しいな、と素直に思いました。ふと気になったお店、桟橋の上にとまっている鳥、自動車では通り過ぎてしまう場所にもとどまることができました。

いつかまた自転車で遠出ができるようになりたいものです。今まで、もう無理かなと諦めていました。けれども、「できない」「無理だ」と言ってやらないでいると、本当にできなくなってしまうのです。精神論はあんまり好きではありませんが、アトキンソンの言う「引き寄せの法則」はある意味、正しいように思います。

今年もあっという間に後半に入ってしまいました。まもなく退院して一年にもなります。いったいどれほど自分が進歩できたというのでしょうか。これからはどんなことでも、何はともあれ「やってみる」の気持ちを持ってみようと思います。

ミューズリーを食べる

カントリーファームフルーツミューズリー
去年腹をばっさりかっさばいて、腸もずいぶん切ってしまったせいか、どうも便秘気味でいけません。おまけに、今年に入ってからは、アレルギーと思われる喘息や痒みも出て、きっと腸内環境もあんまりよくなかろうと思います。

そこで、毎日の食事は肉はなるべく避けて野菜中心にし、ヨーグルトも積極的にとるようになりました。

ヨーグルトをそのまま食べるのも味気ないので、朝食シリアルをトッピングして食べているのですが、これがなかなかうまい。特にフルーツグラノーラの、ドライフルーツの甘みと、シリアルのザクザクした食感がクセになり、気がつくと450gのヨーグルトを二日ほどで平らげてしまうようになりました。

一回にヨーグルト100g(60kcal)、フルグラ20g(90kcal)と計算すると、ヨーグルトだけで一日300kcal。いかなヨーグルトとはいえ、それなりのカロリーになってしまいます。おまけに最近は、貧血を言い訳にしてあんまり運動もしなかったので、だんだん太ってくるんですよ。

そこで、ヨーグルトは無脂肪のものに、フルグラをミューズリーに変えてみることにしました。

ミューズリーは前々から食べてみたいと思っていました。グラノーラが穀物を味付けして焼き上げたのに対して、ミューズリーはほとんど手を加えられていないという違いがあります。それだけにたいして旨くはないけれども、食べつけると結構やみつきになるというものらしいと、以前何かの記事で読みました。そのときにAmazonのほしいものリストにいれて、ずっと放っておいたのですが、とうとうポチッと買ってみたのです。

手に入れたのはカントリーファームのフルーツミューズリー。ブドウやイチジク、桃、プラム、リンゴ、バナナなどのドライフルーツに、オート麦やライ麦などの穀物がまぜてあります。ミューズリーの種類がいろいろある中でこれを選んだのは、ドライフルーツの量が多めで、初心者でも食べられそうな気がしたので…。100gあたり356kcalとあるのでフルグラより20%くらいカロリー減。

とりあえずそのまま食してみると、これがたいして美味くない。ドライフルーツがほとんど味のすべてを占めていて、穀物は何の変哲もない穀物の味です。コーンフレークも入っていますが、ごく少量なのでザクザクした食感はなく、どこか粉っぽく、モソモソした感じがします。

しかし噛んでいるとああ、何となく香ばしいような感じもしないでもありません。味付けのしてないナッツを食べたときのような感じで、だんだん慣れてくるのが不思議です。

子どもに食べさせてみると、下の子は「まずっ!」といって、ぺっぺっと吐き出しました。上の子はまんざらでもない様子でしたがそれほど積極的には食べず。嫁さんも一口食べて「ふーん」という感想でそれほど積極的に食べようとしません。まあぼく専用のおやつになりますね。

ヨーグルト100gとミューズリー20gはこれくらい
やはりヨーグルトに混ぜて食べることにしました。グラノーラの時はあまりかき混ぜずに、ザクザクした食感を楽しんだのですが、ミューズリーではかき混ぜて食べます。こうすることで粉っぽさやモソモソした感じが薄れ、穀物そのものの味が全面に出てきます。フルーツが結構入っているので甘みもあるし、これはこれで結構イケてると自分では思うのですがねえ。

ちなみに無脂肪ヨーグルト100gにミューズリー20gで、約100kcal。普通のヨーグルトにフルグラと比べて摂取カロリーは2/3程度になりました。

それで便秘が解消されたかというと、なかなかそう簡単にはうまくいかないので、困ったことです。食生活の改善はもとより、多少は体を動かすことも必要なようですね…。

今年は生きた証を記録をしていこう

年明けてずいぶん経ってしまいましたが、今年最初のエントリになります。

昨年は大病をして大荒れの一年だったので、今年はぜひとも大過なく過ごして行きたいのですが、こればかりは運命なのでどうなるかはわかりません。ただいろいろなことを、今まで以上に記録していきたいと思うようになりました。

先日一緒に寝ている子どもの胸に手を当てたのです。手のひらに感じる暖かさ、胸の鼓動。我が子が生きていることを手のひらに感じる、そのことがとほうもない幸せに感じました。けれども、それは本当に小さな幸せで、もう二度と見ることのない儚い夢のように思いました。

最近そうした刹那の感情が、とても貴重に思えて仕方ありません。なにせ先のことがわからないだけに、そういう気持ちになるのは仕方ないかなと思います。それでいて、その貴重な時間は、前よりもさらに速く過ぎ去って、慌ただしさの中に感情は流されていってしまいます。

時間の感覚が以前とはぜんぜん違うのです。すぐに肉体的に、あるいは精神的に疲れてしまうので、一日にできることが本当に少なくなってしまったせいもあるかもしれません。マルチタスクというものができないので、一つの仕事をようやっと終えて、次のことに取り掛かろうとするともう一日が終わっていたりします。

一日のうちにはそれなりのできごとがあって、その時に感じることもあるのに、それらはあっという間に過ぎていく時間に押し流されてしまう。残された時間はどれだけあるかわからないのに。

その焦りがあるのでしょう。一日のうちに起きたできごと、その時の気持ちを何でもいいので書き溜めておくことが必要だと思うようになりました。

今まではSNSをはじめ、日記アプリやカメラアプリを使って、デジタルで記録することにこだわっていましたが、昨年の終わりくらいからは紙のノートに万年筆で記録をするようになりました。

それは日記というものでもなく、今までSNSでつぶやいていたようなことをノートに書いていきます。いや、それよりも言葉の羅列であったり、図を書いたり、他人の目に触れない分、もっととりとめのない書き方をしています。そうして、白かったページが文字や図で埋まると、今日一日生きていたことが確かめられるようにも思うのです。今年はいわば生きた証のために、記録をとっていこうと思います。

ただ、そうしてノートに考えたことを、まとめることができれば本当は一番いいのですが、なかなかそれができないのがもどかしい。この文章だって本当は年始に書こうと下書きをはじめたのに、結局今頃書いているのですから。

「穏やかな死に医療はいらない」を読んで

いかにして死にゆくべきか。人生八十年としてもすでに半分以上が過ぎ去り、ましてや大病を抱える身となれば、ふとした瞬間にそのことに思い至ります。

今回、緩和ケア医である萬田緑平氏の「穏やかな死に医療はいらない」を読んで、その思いをいっそう強くしました。

この本には、ひとつの理想的な死に方が書かれています。それは終末期になった時、無駄な治療をやめて、飲食もできなければ無理をせず、痩せるに任せ、枯れるように死んでいくというもの。著者はこれを「老衰モード」と呼びます。

食欲が無いからといって栄養点滴や胃ろうなどをせず、血圧が低いからといって昇圧剤などを使用せず、自然のままに死んでいくほうが穏やかに死ねるそうです。

しかし現代はそのように自然に死ぬことが難しいことも確かです。ほとんどの方が病院で亡くなる現状がそれを物語っています。

病院で亡くなるということは、最後まで「死」に抗い、がんばって病と戦って、しかし刀折れ矢尽き死んでいくということです。病との戦いが、かえって患者本人の体力を奪い、苦痛をもたらしているのかもしれません。そこまで頑張り、苦痛に耐えて死ぬことが、本当に人生の幕引きにふさわしい死に様と言えるかといえば、さあどうでしょうか。

必ずいつか死ぬからには、苦しんで死ぬよりも、できる限り安楽で穏やかに死にたいものです。だとしたら、最後の際まで苦しい思いをして病と戦わなくてもいいのかもしれません。そのためには、戦いの場である病院から離れることも必要なのだと著者は言います。

著者は、かつて大学病院で外科医として数多くの患者さんを診療してきただけに、「病院医師にとって治療の目標は患者さんに良い人生を送ってもらうことではなく、少しでも長く生きさせること」という言葉には説得力があります。病院は死に場所としてふさわしいところではないのだと思いました。

ぼくも、やがて病によって生命を落とすことになるでしょう。もちろん、今すぐにどうこうなるわけではありません。それは数年後のことかもしれないし、あるいは数十年後のことかもしれないけれど、いつかは治療の甲斐がなくなり、終末期がやってくるでしょう。その時に、どのように最後の時を迎えようか、本書はそれを考えておくことの大切さを教えてくれました。

第2クール第9日 ニャン太

病院に向かうニャン太
今日は入院日記ではなく、我が家の猫が手術を受けた話を書こうと思います。

我が家にはニャン太という老猫がおります。齢13ですから人間の歳にして70歳くらいでしょうか。大きな病気をすることもなく安楽な日を送っておりましたが、しかし齢も十数年となると、生来の活発さがなくなり、ひなが一日寝て過ごすことも多くなっておりました。

先日、ぼくが三週間の入院を終えて自宅に帰ると、ニャン太は右の目からは涙を流し、クシャミをしているではありませんか。風邪でも引いたのかと聞くと、嫁さんははじめて知ったとばかり驚いておりました。数日は様子を見たけれども、なかなかよくならないので、ともかく動物病院に連れて行って診断を仰ぐとこれがなかなか重症でした。

先生の曰く「歯周病にかかっており、その菌が歯頸を貫いて鼻腔まで達し、このようなクシャミをして、涙が流れている」と。また血液検査の結果、老齢によって腎機能が低下しており、通常のエサではなく腎臓病の治療食に切り替えなければならないとのことでした。体重も随分減っており「エサを食べていましたか」と問われても、ぼくはもとより嫁さんも答えられませんでした。猫のことにかまっていられないほど、彼女も生活にくたびれていたのです。

治療するには悪くなった歯を抜いて、菌の鼻腔への浸潤を防ぐことが必要で、その手術日は24日と定められました。また治療食への転換も同時に進めなければなりませんでした。ニャン太は、歯の痛みに加えて突然のエサの切り替えに戸惑い、数日はほとんどエサを食べず心配をしましたが、だんだん痛み止めの注射が効いて治療食にも慣れたか、エサの量が増えてきて安心をしました。

やがてまたぼくは病院に住まうことになり、果たして昨日嫁さんは彼を動物病院に連れていき、一日入院させて今日連れて帰りました。手術はなんとか終わり、術前は絶食だったせいもあって、エサをがっつくように食べていると報告を受け、安心しました。一方、その手術代については愕然としました。が、それも仕方ないかと請求通り払わせました。

ニャン太は2001年秋、まだ生後数ヶ月の時に店先の道路にぽつねんと立っていたのを保護し、以来里親を探すこと数週間を虚しくすごすうち、たいていの猫飼いの例にもれず、情が移って我が家の飼い猫となりました。

子どものいない夫婦にとっては、我が子同様、動物病院での戒めを守り、屋外に出さず、人の食事を与えず、プレミアムフードをあてがい大事に育てました。後年、諦めていた人間の息子ができて、親の愛情がそちらに自然と移ってしまったのですが、子どもに危害を加えることもなく、かえって子どもに虐められてもするりと抜けだして距離をおくなど、温厚にして聡い猫でありました。

いたずらもよくし、我が家の壁は彼のツメによってぼろぼろですが、お腹が空くと騒ぐこともなく皿の前にじっと座ってエサをくれるのを待ちつづけ、ぼくがあぐらをかくと必ずその間に納まって喉をならし、床に横になればしめたとばかり腹の上に乗って寝息を立て、お風呂に入ろうとすると必ずついてきて浴槽のお湯を飲むのが大好きな、愛すべき猫です。

なんといっても彼はやはり家族の一員、いってみれば我が家の長子でもありますから、まだしばらくは安楽な余生を過ごしてもらいたいのです。奇しくも、主人であるぼくがこうして病に伏せ、また彼も病にかかったのは、主人の痛みを少なからず彼が引き受けてくれたのかという気持ちもしないでもありません。だとしたら、多少の手術代を云々言うも詮無いかなと思うのです。

この手術の成功を吉兆とし、彼が無事家に帰ったように、ぼくもまた治療が順調に進み、家に帰られるといいなと思います。