カテゴリー別アーカイブ: 病についてのお話し

胃カメラを飲んできました

白血病の治療によるものか、もう何年も貧血傾向でありましたが、二年前の手術以降はもう一段貧血が進んだ状態になっています。

前回の診察では、これ以上下がると日常生活に差し障りがでるかもしれない程度まで貧血が進んできたので、この血液の不足が体内の出血によるものではないか確認したほうがよい、ということになって、胃カメラを飲むことになり、昨日病院を受診しました。

ちなみに8月5日は、2年前に退院した日でもありました。病院では手術をした4月が区切りになって検査の日程が組まれているわけですが、ぼくにとっては、ここから再び日常生活がはじまったので、この日がひとつの記念日になっています。

しかし胃カメラという検査を受けるとどうも卑屈になっていけません。今日こそは堂々と検査を受けてやろうと思うのですが、麻酔ゼリーを口に入れられて待っている間で気分が凹んできます。

いざ検査でベッドに横たわりマウスピースをかまされ、食道にカメラが入ってくる時が一番きつい。吐き出そうという反応が抑えきれず、何度もげえげえ言っていると、お医者さんからは注意され、涙目になりながら、看護師さんに背中をさすられ、ようようカメラを飲み込めば、検査前の気持ちはどこへやら実に情けない気持ちなわけです。

まあそれでも何度か内視鏡検査を受けたおかげか、管が胃の中に入ってしまえば、多少のゲップが出るくらいで落ち着いて対処できたと思います(自分の中では)。

診察では、結局胃から上の部分での出血は認められなかったということです。ただ、若干の食道裂孔ヘルニアと胃の粘膜が薄いゆえの胃炎があるという診断でした。

食道裂孔ヘルニアというのは、普段食道と胃をつなぐ部分は横隔膜によって隔てられているわけですが、胃がなんらかの影響で横隔膜から飛び出してしまっている症状だそうです。以前も逆流性食道炎になったことがありますが、そういった影響もあるのでしょう。ただ、特に治療する必要もない軽いものだそうです。

次回は胃から下の部分で出血がないか、大腸検査を行ってみようかという話でしたが、大腸検査というのはなかなか難儀なものなようですし、今回の血液検査では貧血も若干改善していたのもあって、検便で済ませてもらうことにしました。それで潜血がなければまあ勘弁してもらおうと思っています。

まあこうして定期的に病院通いの身だからこそ、胃カメラなども飲む機会があるわけで、これこそ一病息災ということです。もっとも、それを過信していて膀胱がんは見過ごしてしまったわけなので、これで安心とは言えないこともまた事実なんですね。

忙しきことはよきこと哉

今年に入ってから運命の歯車が回り始めたというか、公私ともにあらゆることが自分のまわりで起き上がり、それを必死になってこなしているうちに、いつの間にか年の後半になってしまいました。

特にこの8月から、別の会社と業務を提携して、新しい体制で仕事にとりかかることになり、かなり切羽詰まっています。あれよあれよという間に、新体制まで一週間を切りました。設備工事の打合せをし、提携先との事務作業のプロトコルを作成し、新しい設備のオペレーションをどうするか、お客様へのプロモーションをどうするか、それらを順番に決定していかねばなりません。

もう一つ、今月末と来月の初めにイベントがあって、そちらの準備もあります。自分が企画を出してしまったような事業なので、なんとか責任を持ちたかったのですが、今抱えている仕事との兼ね合いが難しくなってしまい、同業の仲間に助けてもらうことにしました。とはいえ、なんとか成功させたい思いもあり、それなりに準備を進めていかねばなりません。

諸々のことに追われ追われて過ごしてきましたが、今日は7月最期の日曜日。外部との交渉ごともなく、工事も休みで、少しなにかぽっかりと穴が開いた時間ができました。この時間に勢いをつけて、このご無沙汰なブログに、今の気持ちでも書いておこうと思います。

なかなか降りてこないアイデアや、上手くいかない交渉ごとや、安楽な時間が持てないことへのストレスがあって、感情的にも高ぶったこともありましたが、本当は、これだけ忙しく過ごせることは、ものすごく幸せなことだなあと思わずにはいられません。

思えば、2年前の今頃は、抗がん剤を体に入れて、吐き気と貧血とにさいなまれて、毎日病院のベッドで過ごして仕事どころではありませんでした。昨年は貧血をかかえながら、このままではいけないと体力をつけるために、ぼちぼち歩いたりして、リハビリをする日々でした。

それから、まがりなりにも普通の日常生活が送れるようになって、仕事もできるようになったのは幸せなことです。しかし、それ以上に幸せを感じるのは、周りの人たちが再びぼくに仕事を任せてくれるようになったことなのです。

たとえ自分は大丈夫と思っても「あいつは病み上がりだし、いつまた倒れるともわからんから、重要な仕事は任せられないな」と思われたらどうでしょう。今なお、悶々とした日々を過ごしていたかもしれません。けれども、ぼくの周りの人たちは、この病みあがりの身に、再び大事なプロジェクトなどを任せてくれたのでした。

まことに人間はわがままなものです。「無理せず休みなさい」と言われるよりも、「いつまでも病人面なんぞしないで、仕事せいや」そうやって尻をたたいてくれることのほうが、今のぼくにとっては力になる言葉なのです。

その期待に精一杯応えるためにがんばることで、日々生きていけるわけですし、生活もまた開かれましょう。そしてそれこそが、自分が癒えたことへの自信となるように思うのです。

たまたまの人生であることを知ること

今年もまた、友達だった人の命日が来ます。遠く離れているので、お墓参りに行くこともないけれど、その日が近づくと、なぜ彼が死んでぼくが生きているのか、そんなことを思います。

同じ慢性骨髄性白血病という病気で、同じ薬を使って治療をしていたのに、彼にはその薬が全然合わず、ぼくにはその薬が効果があった。その違いが生死を分けたのです。

彼は薬が合わないために、骨髄移植しか手段がなく、しかしドナーも見つからず、最終的には多臓器不全を起こして亡くなりました。ぼくは、その薬が完璧とは言えないけれどもまあまあ適合して、のらりくらり暮らしているうちに、より効果的な新薬が認可され、こうして今も生きています。

その後、ぼくは膀胱がんにもなりました。腫瘍細胞が臓器内にかろうじてとどまっているステージ3でした。もう少し発見が遅かったら、臓器を破りリンパ節に乗って、がん細胞が体中に散らばっていたことでしょう。

もちろんもっと早期に発見できれば、膀胱摘出することもなかったでしょう。けれども、ステージ4という厳しい状況はわずかの差で回避しました。そのため、いまや普通の人とそれほどかわらぬ生活ができているのです。先頃、俳優の今井雅之さんがステージ4の大腸がんを告白して、すっかり痩せられたのを見たりすると、ぼくも紙一重のところだったのだと身震いします。

ぼくが今なおこうして生きているのは、本当に「たまたま」なのです。たまたま薬が適合したし、たまたま手術が成功したし、医学の進歩の節目にたまたま生きていたということなのです。

それは、ぼくが「とてつもない幸運の持ち主であった」ということでもないし、「生かされているのは神様の思し召し」でもないと思うのです。

きっと、今生きている人はみな幸運に恵まれているのです。しかし、誰もがそれは当たり前と思っているのです。ぼくもそう思っていました。しかし、死の近くをうろうろしたことで、それはほんの「たまたま」のことだ、という感じを強く持つようになりました。

命をわけるものは、ほんの偶然の出来事にすぎないというこの不条理。

「人間はひとくきの葦にすぎない」そういや読むのに挫折したパンセでありましたなあ。

彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するに及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は、自分が死ぬことと宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

人間の惨めさ、運命の理不尽を知ることこそが、人間の尊さであるとパスカルは言います。哲学というのは、いつもこんな禅問答みたいなことを言うので、納得ができません。今も納得しているとは言いがたいけれども、死の近傍を歩くと、実感として言わんとしているところはわかるのであります。

2年前を振り返る

ここのところ忙しくてブログを書くこともできず、あっという間に春がきました。インターネットも時々Facebookを見るくらいだったのですが、先日4月7日に「2年前の写真を振り返ってみましょう」と表示されたので、どれどれと見てみると管に繋がれてベッドに横たわる自分の姿が現れました。
Facebookから
2年前の4月、膀胱全摘出手術を行ってまだ数日。麻酔チューブやら栄養チューブやらも繋がれ、まだ起き上がることもできず、個室のベッドの上にあったのを写真にとってプロフィールに使ったのでした。

その日の書き込みを読むと、当時のことをありありと思い出すことができます。まだ貧血がひどく、なかなか状態が回復しないので、輸血を行ったのもこの日でした。その時のことは以前ブログにも書きました。

輸血 | fumiton.nyanta.jp

輸血を受けるとき、おそらくは生理的な直感による嫌悪感と、命を救ってくれたことへの感謝が、同時に沸き起こってくる不思議な感情は忘れ得ぬものでした。

それから2年がたちました。

半年に一回受けているCT検査も、先日の検査で4回めになりました。転移の兆候は見られず、尿路経路も異常なしと、実にあっさりと診断を受けました。白血病については、無投薬での寛解状態をもう2年近く保っていることになります。現在は、体質の変化か、顕在化したアトピーや喘息症状を抑えるだけで、まあ普通の人になったようです。

がんサバイバーといっても、ぼくはとても恵まれているのでしょう。これといった思いもなく、日々を過ごせていることが、日常にもどった証左でもあります。でも、時々は、素直に生きていることのありがたみに感謝したあの頃の自分を思い出して、人生について考えてみることも必要なのかなと思います。

モニターに写った自分の姿を見ながら、振り返りました。

意識を変えれば数値もかわる

9月の診察では半年ぶりのCT検査を受けました。術後5年の間、転移がなければ、まず治ったということだそうです。もし転移が見つかるとしたらCT検査の時であり、その時は次のより困難な治療に向かわなくてはいけません。CTスキャナの体を通す円形のトンネルは、半年に一度くぐる関門ということになるでしょう。5年の間に、この関門を10回潜る必要があるのです。

今回はその3回目でしたが、無事に通過することができたようです。新膀胱の形もよく、尿路等の接続も問題ないと説明を受けました。血液検査でも腎臓などの臓器の異常を示す兆候は見られないそうです。

また、今回はヘモグロビンの値もだいぶあがって、ずっと悩まされてきた貧血がほぼ解消されたことがわかりました。白血病治療薬のグリベックは休薬して1年が経ちましたが、染色体異常も測定限界値以下が続いています。

がんの転移もなく、白血病はほとんど完治したと言えるでしょう。

その一方で、下痢と便秘を繰り返す胃腸の不調や、喘息や全身のかゆみというアレルギー症状は続いています。また最近は、手先や足先の関節痛も現れて、キャップを捻る動作や、階段の昇り降りが辛かったりします。体を切り貼りしたり、長年薬漬けだったりしたことのダメージが、じわじわと現れているのだろうと思います。

せっかく主たる病が治りつつあるのに、副次的な症状のせいで、診療科も増え、薬も増え、治っている実感が全然わきません。

けれども、9月に入ってから、自分を変えなければならないと思いました。

もう退院してから一年も経ったのです。8月の終わりの花火大会のニュースを見ながら、そうだ去年は病室から眺めていたんだ、それから一年経ってしまったと愕然としました。

この一年、つらい、怠い、しんどいを言い訳にして、何もできなかった自分を見出しました。身体の不具合が増えていって、弱っていくことを当たり前に思っていたのかもしれません。このまま、毎日言い訳をして、なにもしないまま一年また一年と消費していってもいいものか。この先何十年安泰ならまだしも、数年を生きるか死ぬか賭ける身であるからには、もっと時間の短さを真剣に考えておかねばなりません。他人から無理せず大事にと言われようとも、本当は、骨身を削ってできることをしなければならないはずでした。

9月に入り、ぼくは体力をつけるために真剣に取り組もうと決意しました。失ったものは多くあるけれど、今から取り戻せるものもあるはず。しんどくても自らを励まして、少し長い距離を歩くようにしました。筋力を維持するために、チューブトレーニングをすることにしました。歩くスピードだって遅いし、チューブを引っ張れる回数もわずかですが、これが体を強くするんだという思いで、日課にしています。

今回血液検査の値がよかったのは、意志の力と、運動を実践したためだと思います。ぼくはなんとしても、もう少し子どもたちの成長を見守らないといけないのです。そのためには体を強くしないといけません。

貧血になってよかったこと?

8週間ごとの診察日。採血検査を受けると「ああ、採血後のガーゼが半袖だから隠せないな」と気づきました。2ケ月も間が開くと、すっかり季節が移ろっています。

しかし血液検査の結果は2ケ月前とあまり変わらず、ヘモグロビンも9.5g/dlと相変わらず貧血状態が続いていました。ヘモグロビン量は、去年退院後に11gまで回復しましたが、その後じわじわと下がり続け、今年に入ってからは10gを切ったままです。

ヘモグロビン数値と体の状態については、昨年の手術以来いろいろと体験をつんで、それなりの目安がわかってきました。

ぼくにとっては10gというのが一つの目安で、これを超えればまあ普通に暮らせるけれども、10gを割ると階段を上ったり、坂を歩くだけで動悸がひどくなったりします。さらに9gを割るとちょっと歩いたりするのも疲れるようになり、日常生活にも影響が出てきます。ここ最近も自宅の階段を上っただけで心臓がバクバクいっていたので、貧血は改善していないだろうなとは思っていて、検査結果は予想を裏付けるものでした。

今回は血清鉄についても検査したところ、基準値50~175㎍/dlに対して23しかなく、鉄不足が顕著なので鉄剤が処方されました。これまでも市販の鉄剤は飲んでいてこの数値です。医療用だから数値が劇的に改善するというものでもないような気もするのですが…。

この貧血が、今の一番の不安材料です。貧血になっている原因はどうやら鉄不足ということなのでしょうが、普通にご飯も食べ、市販の鉄剤も摂取し、それでも鉄が流出していくのはなぜか。それがわからないのが不気味です。

ただ、貧血になってよかったといえることがひとつあります。

もしかしたら白血病の薬が貧血の一因かもしれないということで、グリベックを休止してきました。休薬しても貧血は改善しないので、グリベックが貧血の原因ではないのでしょう。一方でうれしいことに、かなり長く休薬してきたのですが、遺伝子検査をしても異常染色体が依然検出されていません。

3年前に、グリベックをやめても再発しない可能性があるということを知り、グリベックをやめるべきかどうか迷って、結局続けたことがあります。

慢性骨髄性白血病治療で薬から解放される?かも | fumiton.nyanta.jp

診察日 | fumiton.nyanta.jp

また今年になって

慢性骨髄性白血病でTKI中止後6カ月の無再発生存率は6割を超える、EuroSKIの中間解析【EHA2014】:日経メディカル(要登録)

という学会発表もあったようです。

うまいことにぼくは、この調査結果の運のいい方に入っているようです。このまま休薬できれば、白血病については完治したといえるのかもしれません。

貧血になって休薬を余儀なくされなければ、いまだにグリベックを服用していたことでしょう。グリベックは毎月高額療養費制度のお世話にならないといけないくらい高価な薬です。その負担が今はなく、将来もなくなればどれだけ楽になることか。貧血になってよかったというのは、このことです。

もっとも白血病がよくなったといっても、今のぼくはがんの転移に怯えながら暮らす身ではあるので、うれしさも半分というところでしょうか…。次回の診察では退院後3度めのCTで、転移がないか確認することになります。

自転車に乗って出かけてみた

愛用の折りたたみ自転車
月はじめにはATMめぐりをしてあちこちの銀行の通帳記入をすることにしていますが、ふと自転車で行ってみようと思い立ちました。市内中心部まで往復したって10キロやそこら。普通なら、たいした距離じゃないのです。しかし、ようやく数キロ歩いても息が切れて足がだるくなるような今の自分には、果たしてできるかどうか。

だけど、身体の不具合を言い訳にして動かないでいると、どんどん弱っていくばかりではありませんか。アレルギーが出たり、便秘になったり、そういう症状が出るのは「貧血でしんどいから」と、歩くことすら怠けていたせいなのかもしれません。最近ようやくそのことに気づきました。人間たるもの、多少無理をしてでも体は動かさないといけないのです。

自転車で行くならロードバイクを出そうかと嫁さんに言われましたが、断って折りたたみ自転車で行くことにしました。途中で挫折したときは車で迎えに来てもらわなければなりません。それに、できるだけゆっくり走って、時々休憩して、小径車ならそういう走り方をしても格好がつくというものです。

10時半ころにスタートして、ぐるっと市内を巡って昼ごはんを食べ、どうにかこうにか帰ってきたのは13時過ぎ。走行距離約14キロ。自転車に乗っていた時間は約50分。自宅前の最後の坂道は、もうヘロヘロで、息も上がり、ギリギリたどり着いたという感じですが、それでもなんとか帰ってこられました。

まだまだ体力的には無理があったのは否めません。最終盤はよほど疲れて下半身の力がなくなったせいか、少量の尿漏れをしてしまいました。なんたって普通の膀胱ではないのですから、ある程度覚悟はしていましたが、やっぱり屈辱的ではあります。

それでも走っている最中は、自転車ならではの楽しさを久しぶりに味わうことができました。川沿いを走るとほのかな潮の香りがただよってくるんです。そのにおいをかいだときに、ああ自転車は楽しいな、と素直に思いました。ふと気になったお店、桟橋の上にとまっている鳥、自動車では通り過ぎてしまう場所にもとどまることができました。

いつかまた自転車で遠出ができるようになりたいものです。今まで、もう無理かなと諦めていました。けれども、「できない」「無理だ」と言ってやらないでいると、本当にできなくなってしまうのです。精神論はあんまり好きではありませんが、アトキンソンの言う「引き寄せの法則」はある意味、正しいように思います。

今年もあっという間に後半に入ってしまいました。まもなく退院して一年にもなります。いったいどれほど自分が進歩できたというのでしょうか。これからはどんなことでも、何はともあれ「やってみる」の気持ちを持ってみようと思います。