退院してしばらく経ち、家族で過ごす時間を大切に感じています。とはいえ、今までと特に変わることもなく、ささやかな夕餉をかこみ、子どもたちの宿題を励ましながらあるいは叱りながら手伝ってやり、子どもと一緒に風呂に入ってその日あったことやくだらない話をして笑い、同じ布団に入って寝、朝起きれば慌ただしく朝食を済ませ、学校にいく支度を急かして送り出す。その毎日の繰り返しです。
普段と変わらぬ生活が送れるのは、嫁さんの力が大きいと思います。ぼくは常日頃から神経質で、ものごとも悪い方へ悪い方へと考える質であり、二人して同じようだったらどんなにか重苦しい日々になったことでしょう。しかし、うちの嫁さんがどっしり構えて普段と変わらない生活をしてくれているから、家族の生活もまた普段通りにいっているのだと思います。
そもそも彼女は、ぼくが白血病となり数年後には死んでしまうかもしれないという状況を飲み込んで、ぼくと結婚したのでした。自分の将来を考えたらなら、まずありえない選択だろうと思います。今流行の婚活とかそんなものとは全然無縁な考えの持ち主です。心中は穏やかならざるものがあるとしても、決してそれを表に出す人ではありません。
だから、またひとつ主人の病気が増えたわくらいな言い方をします。それが彼女の精一杯の心遣いであることは痛いほどわかります。どれほど彼女に負担をかけ、つらい思いをさせていることでしょう。それでも、病気のことはよくわからないけれども、夫であるぼくの決断を全面的に信頼し、そのためのバックアップをする気構えでいてくれます。次に入院したら、かなり長期間生活や仕事で負担をかけることになるけれども、それは気にしないでと言ってくれます。ああ、それがどれほどぼくの助けになり、力になっていることでしょう。
子どもたちには、今までも何事もかくさず正直に話してきました。今回も同じようにしています。子どもにとっては受け入れがたかったり、わからないこともあるかもしれないけれど、それでいいと思います。前よりも少し甘えん坊になったようです。
年老いた両親は「お前はなんとあれこれと病気を持つことになったのお」と嘆いています。そして「手術するにしても決して甘い考えではいけない。乗りきれるだけの体力をつけておくことだ」と助言をしてくれます。身体が弱く申し訳ないとお詫びをし、後のものが先にならぬようになんとか生き延びたいと思っています。
思うに人の幸せというのは、このように我が身を慈しんでくれる人がいることなのだと思います。もしぼくが孤独であったならば、もうこの世にはおりますまい。家族がいてくれるから、ぼくもまた堂々と病に立ち向かっていこうと思っています。
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温かく応援しています。
家族を守ってくれる人、それが本当の愛だと思います。人間関係でも同じことが言えると感じます。