入院一週間が経過してもまだ退院許可はおりませんでした。すでに尿道カテーテルも外されて下腹が少し突っ張った感じはあるものの、腹を切ったわけではないので見た目も普通。消化器系の手術ではないので、毎日のご飯も通常食できちんと食べられる。なのにただひたすらにベッドの上で時間を潰す生活というのはもどかしいものです。退院の許可がないのは、組織検査の結果が出ないからだと思いました。医者としては、どうしても組織検査の結果を入院中に告げたかったのでしょう。
14日は2月とは思えないほど空が晴れ渡り、南向きの病室は暑いくらいの陽気でした。なんとか週末までには帰りたいと思っていたので、組織検査の結果が出る出ないにかかわらず土曜日に退院することで同意をとりつけたのですが、まだこのような生活を二日もしなければならないことにうんざりしながら外を眺めていました。「お時間はよろしいですか」主治医がやってきたのはその時でした。いよいよ結果が出たのだと思いました。
食堂のとなりにある面談室に入り、ぼくは主治医と向き合いました。午後の明るい日差しが逆光になり主治医の表情は暗く見えました。左手のモニタには前に撮影したCT画像と、病理組織検査報告書が開かれており、それを見ながら主治医は話し始めました。
「やはり膀胱がんです。そしてあまり良いタイプのものではありません。一部には筋肉にまで湿潤しています。経過観察はまずありえないと思ってください」一部G3あり、pT2という文字が書かれています。確かにかなり悪質です。
主治医は今後の治療方針として、膀胱全摘出手術と放射線と抗癌剤による化学治療の二つの選択肢を示しました。また手術も二つのパターンがあり、簡便な方法として尿管を体外へ出して袋に排泄するやり方と、小腸を切除して膀胱の代わりの袋とし、従来通りの尿管を残すやり方とがあることを教えてくれました。
簡単な方法の手術では約3週間の入院で、複雑な方では5週間の入院が必要になるとのことでした。放射線治療は通院と、抗癌剤注入のための三四日の入院を複数回繰り返すことになり、当然ながら抗癌剤による副作用もあるとの説明を受けました。
ぼくもかなりの時間、それぞれの治療のメリット、デメリット、手術方法の確立性などについて質問をし、主治医からも丁寧な返答をいただきました。
「予後はどちらもかわらないと思いますが、あなたの場合はまだ20年30年の生存を目指すことになる。そのためには手術のほうがよいでしょう」と主治医は言います。さあ、G3のがんでそんなに生きていられるものかとも思いましたが、20年30年というスパンの話をされると、生きる希望みたいなものが出てくるから不思議ではあります。
「しかし、もし他臓器に転移していたら手術をしても無駄でしょう。それならばあまり積極的な治療をしたくありません」とぼくは言いました。
「言われることはごもっともです。しかし、今のところ他に転移している兆候はみられません。もちろんもう一度精査はしますが、そうでないから手術を勧めるのです」と主治医は言いました。
「いずれにせよ今すぐに結論は出せません。家族と話し合いよく考えて結論を出します」
「もちろんそうです。いつ頃結論が出せそうですか」
「3月に血液内科の診察がありますので、その時結論をお持ちします。治療は春になってからを希望します」
こうして告知と退院の許可がおり、ぼくは結論を出す3月まで苦悩を先延ばしにすることになりました。
ぼくがかなり冷静なやり取りをしているように思えたのでしょう。「こういうことに耐性は強いのですか」と主治医はなんだかおかしなことを聞きました。どうなのだろう、やはり覚悟はしていたこともあって、これだけは聞いておこうというのをあらかじめ整理もしておりました。でもやはり今までの経験は強みになったのでしょう。
「白血病になったときに、その時代は生きるか死ぬか半々の確率でした。運良くもらった生命ですから、ある程度の覚悟はできているつもりです。ただ…」そのときにやっぱり子どもの顔が浮かんだのです。ぼくは正直に言いました。「ただ、子どもができた今は、やっぱり長生きはしたいと思いますね」
主治医は静かに頷き「治療には万全を尽くします」と約束してくれました。それがなんとも心のこもったような言葉に聞こえ、ぼくは唇を噛み締めました。
病室に帰ってから、しばらくは呆然としていたように思います。タフだと思っていたんだけどなあ、結構動揺してるじゃないか、とどこか他人ごとのように自分を批評し、今後どうするかとかあまり頭にも浮かばず、視線は窓の外にありました。夕方に向かい少し雲は出てきたけれども、あいからずおだやかな日差しが宍道湖を照らしていました。
その日はやっぱり眠れないかなと思いながら、しばらく考え込んでいましたが、考えこむのに飽きて横になったらすんなりと寝てしまい、すっきりした朝を迎えました。そうして2月15日にぼくは退院したのです。
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