ぼんやりとした時間

熊野大社奥にある御神水
昨日は雨がそぼ降る中、ひとり熊野大社にお参りをしてきました。

熊野大社は、結婚してしばらくたってから何の気なしに嫁さんとご祈祷を受けた直後に、ずっとできなかった子どもに恵まれたということがあってから、折にふれてお参りするようになりました。

すでに初詣の賑わいもなくなり、特別に設けられた御札所も片づけ半ばといったところでしたが、それでも参詣する人が次々といらしては手水で手を清め、本殿にお参りをしていました。ぼくも賽銭を投げて手を合わせてお祈りをし、御札所でお守りをいただきました。たまに神頼みをしたからといってどうなるものでもありませんが、境内のひんやりとした空気に身をさらして気持ちを落ち着けることはできます。

1月の診察で新しい病を抱えたことが判明し、これからその治療に向かうわけですが、少し今まで張り詰めすぎていたかなと反省もしました。日々の生活に汲々として、それがあたり前のことと思って、毎日過ごしてきたけれども、そうじゃなかったように思います。どこかぼんやりとした時間を過ごしてしまうことに罪悪感を感じていたけど、本当はそれが生きていくためには大切な時間だったのではないかと。

今更そんなことを考えても手遅れなんだけども、それでも昨日一日だけは一人で時間を過ごすことにしました。

神社に参ったあとは、となりにあるゆうあい八雲館で温泉に浸かりました。ここは子供たちとよく来る場所ですが、この日はひとり。普段なら、子供たちの動向をチェックするのに精一杯で、慌ただしさを感じていたことにも気づきました。のんびりと湯に浸かり、風呂あがりに牛乳を飲み、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

実は神社に行くのに子どもを連れて行くつもりでした。けれども嫁は「ひとりで行ってきなよ」と送り出してくれました。そういう時間を過ごすように言ってくれた嫁さんに感謝したいと思います。

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