がんばっているんだよ!

昨夜、一緒に風呂に入っていた下の子が、感情を高ぶらせて号泣しました。

国語の宿題で音読というのがあります。教科書の指定された場所を音読して、表に◎、○、△の評価を親がしてやらねばなりません。そのときに◎がもらえず、悔しくて泣いたのです。不当な評価というのではありません。確かに彼の読み方は拙く、ようよう文字が追える程度なのです。それでも彼は◎がもらいたかったのです。号泣して、評価をつけた母親を非難しました。

「いいや、あれではどうしても◎をあげることはできない。もっと読み込んでスラスラ読めるように頑張らなければ」とぼくは言いました。すると「がんばってるんだよ!」と彼が叫んだのです。「いつもいつもがんばってるんだ!でもダメなんだ」

ぼくははっとしました。そうとも、彼はいつもがんばっている。本当にがんばっている。

彼は早生まれでもう2週間も遅く生まれたら、まだ幼稚園に行ってるはずなのです。ひらがなだってようやく小学校に入ってから書けるようになってきて、それでも少しずつ言葉も書けるようになり、計算もできるようになり、親はよかったと思っていました。宿題だって、帰ってきたらすぐに取り組むし、件の音読だって声も大きくて姿勢も正しく、きちんと学習に取り組んでいる。その姿は本当に褒めてあげたい。

でも最終的に評価をするときにどうしても◎をあげられるレベルではないのです。結果を評価しなければならないのです。

「そうともがんばっている、君はがんばっているよ」と言ったまま、ぼくは二の句がつげませんでした。

それは、ぼくも、まさに今日そういう思いをしたからでした。そう、ぼくも頑張った。耐え難いことも耐え、朝から晩まで頑張った。でも結果がでなかった。最終的に失格の烙印を押されたのです。ぼくは相当凹みました。今でも胸がむかつくくらい、心の澱になっている。彼と一緒に泣きたいくらい…。彼の「がんばっているんだよ!」という叫びは、今まさにぼくの叫びでもあった。

そうなんだよね、これから大きくなっていくと、結果ですべてが判断されてしまうことが多い。いやほとんどそうなんだ。でも下の子に「いくら頑張っても結果が出なけりゃダメなんだよ」と言うことはぼくにはできませんでした。どうしたらいいのか、ぼくのほうがうろたえてしまいました。

冷徹な社会の実態を彼にまだみせたくないから? 結果がすべての世の中じゃないと思っているから? 同じ目にあった自分がみじめだから?

落ち込んだ気持ちを懸命に支えようとしていた時に発せられた子どもの「がんばっているんだよ!」という叫びが今もこだましています。どうしたら彼が気持ちをまた高められるのでしょう。いやぼく自身が…。

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