ランプのあかり


部屋を暗くして、灯油ランプに火をつけました。嫁さんが独身時代に北海道旅行で買ったという、北一硝子の灯油ランプ。ほやがガラスでできているのはもちろん、灯油を入れるタンク部分もガラスでできていて、ほんのり赤い色がついています。

ランプは赤と青と二対あって大事に使っていたんですが、先日青いランプのほやにヒビが入ってしまって、いまはひとつきりです。

このランプ、長々と使ってきました。昔喫茶店をやっていたときに、窓辺に飾ってアクセントにしていました。夜はもちろん火をつけて。ゆらゆらとした炎がなかなかいい感じだったんですよ。

炎ってのは不思議なもので、風がなくても微妙に揺れているんです。そのゆらぎは決して同じパターンとかじゃなくて、見飽きることがありません。いや、いつも見入ってしまっています。そのとき、目は炎に釘付けになっているのに、頭の中は炎とは別のところに飛んでいくのがまた不思議なんです。

いろんなことを思い出すんです。嫁さんが自慢気にランプを見せてくれたこと。喫茶店をやっていたときのこと。別の事業をやるんで、喫茶店を嫁さん一人でやらせて苦労させたこと。長い間できなかった子どもが、ひょっこりできた時のこと。出産の時、医者がかけもちで見てたので産室で嫁さんの下っ腹を一人で支えてたこととか。次の子どもは流産しそうで、泣きながら電話してきたこと。嫁さんの入院中、上の子のご飯を作ってやったこととか。ほかにも色々と。

あっという間のことだったのに、気がついたら結婚してからもう15年にもなるんですよね。人生の三分の一をこのランプと、嫁さんと過ごしてきたんですね。いろいろ悩んだり苦しんだときもあったけど、振り返ればあっという間です。

いまね、やっぱり苦しくて辛いけれども、これまでのことを考えたら、何の根拠もないんだけど、この先もなんとかなるんじゃないかって思うんですよ。

気がつけば、今の時代はすべて人工的な明かりばかり。夜でもはっきりとくっきりとした世界。あまりにすべてを照らすので、その場にあるものしか見えなくなります。ランプの炎は暗くて、ゆらいで、すべてを照らすわけじゃない。でも、炎のまわりにはいろんなものが見えてくるような気がします。

たまには、ロウソクやランプの炎を見つめてみると、また気持ちが違ってくるかもしれません。

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