東京の物乞い

小学校1年生の確か冬休みのこと。ぼくは一人でブルートレイン出雲に乗って東京に行きました。初めての一人旅、といっても、東京駅にはおじさん、おばさんが待っていてくれたのでたいしたことはないのです。三段寝台の一番上がぼくの席で、相席二人は大学生風の女の人でずいぶん優しくされた思いがあります。

東京で生まれましたが、2年も経たずに松江に来ていたので、それが初めての東京との邂逅でした。今ではもう記憶も定かでないのですが、赤羽に住んでいるおばさんに連れられて東京タワーに登ったり、渋谷のプラネタリウムを見たりしたことは覚えています。そうそう渋谷ではプラネタリウムを見たあとに、やたら高級なレストランみたいな所に連れていってもらって、訳のわからない食事をするのが嫌でカレーライスが食べたいとおばさんを困らせたりもしました。

上野動物園にも行きました。ちょうどパンダのランラン・カンカンがはじめて来日したときで、パンダ舎は大変な行列で、一時間くらい待ってようやくたどり着きました。係の人が「停まらないでください」と叫ぶ中で見たパンダは奥の方で丸まって寝ていたのでいったい何が何だかわからなかっただけでした。

それよりも一番印象に残ったのは、上野公園の坂をあがる途中に何人もの物乞いの人がいることでした。もう中年のその人たちは手がなかったり足がなかったりで、包帯でぐるぐる巻きにしてカーキ色の服を着て、ハーモニカを吹いている人もいました。そんな人たちが東京にはごろごろいました。

まるっきり彼らが戦争の犠牲者ということはありますまいが、戦争の名残がまだ残っていた時代でした。

最近その人たちのことをふと思い出すことがあります。なぜ思い出すのだろう、ずっと考えていましたが、ひょっとしたら、自分が当時物乞いをやっていた人たちの年齢に近づいたから、なのかもしれません。

当時戦争が終わってから27年経っていました。小さい頃のぼくには、戦争はまるっきり関係ない昔の出来事でした。しかし彼らにとっては戦争はリアルに体験し、まだ心の中に残っている出来事だったのでしょう。それを想像できるだけの年齢をぼくも重ねてきたということなのでしょう。

ぼくらの世代には昭和という残像がまだ残っているのと同様に、彼らには戦争という残像が残っていたのでしょう。もうおおかた彼らもこの世にはおりますまい。遠い昔のお話しです。

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