いつもなら血液検査をしてからのはずが、いきなり診察室に案内をされたのはおかしいと思ったのです。
前の患者が開けたドア越しに主治医と目が合うと、すぐに名前を呼ばれて診察室に招かれました。
「まだ血液検査が済んでいないんですが…」
「いいんです。前回の精検の結果がでましてね」
主治医はそういうとモニターに目を向けました。今までずっと陰性だった検査結果の欄にとてつもない数字があがっていました。
「再発ですか」
「そう考えられますね」
「えらく急ですね」
「だから危ない」
「どうですか」
「これからすぐに治療に入りますが、最初の一ヶ月半がんばってみましょう」
「それでダメなら…」
「年内はがんばってみますか」
どっと胃から変なものがこみ上げてくる気持ち悪さとうらはらに、困ったなあと苦笑いをしている自分の姿を、客観的に見ているもう一人の自分がいました。
今度ばかりはダメだと直感でわかりました。いつかこういうときがくるとは想像をしていたけれども、イメージしていたのとは違うかたちで人生の終わりが目前に迫ってきたことは、自分を混乱させました。
何より時間がないというのがショックでした。仕事はどうしよう、子供はどうしよう…まだ死にたくはないのだが!
頭がぐるぐると回ったところで、目が覚めました。
それからしばらく眠れませんでした。冷静に考えれば、医者が「年内がヤマです」みたいなことを言うはずもないのです。けれども、荒唐無稽と笑い飛ばすこともできないほど迫真な夢でもありました。目覚めてから、しばらく今の生き方を考えざるを得ませんでした。
ひとつに、それほど死ぬ覚悟などできていなかったということがわかりました。
病を抱えているのですから、それなりに覚悟はしているつもりでおりました。けれども、それは覚悟ではなく、こう死にたい、こう死ぬべきだという願望であったのです。そのイメージが固まってしまっていたので、別の事態が起こって激しく動揺してしまったのです。本来の覚悟からはよほど甘い考えであったことを思い知らされました。
もうひとつ、時間がないという思いにとらわれたことが印象的でした。
それは、それだけ今生きていることに執着があるという現れでもあり、それ自体はよいことだと思いました。一方で、毎日やるべき事を先送りしてしまっているということの現れでもあろうと思いました。「今日生きて、明日目覚めぬとも悔いなし」が理想であり、確かにいっときはそんなことも思っていましたが、いつの間にかまた怠惰な毎日を過ごしていた、ということをその夢が思い知らせてくれたのです。
ぼくは実に意志薄弱であります。大病を何度も繰り返し、そのたびに自分の生き方を模索してなお、理想からほど遠い堕落した日々を過ごしているのです。誰もが人生を悟る事ができるわけではないのだとはわかっていますが、もう少しまじめに生きなければ、せっかくの人生がもったいないと思いました。
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