デジタル記録にこだわり、パソコンやスマートフォンでメモを取ることばかりだったのですが、去年あたりからノートにペンというアナログな手段で記録をとってきました。
A5サイズのツバメノートにノートカバーをつけて、万年筆でノートを取るのです。会議のメモはほとんどこのスタイルですし、雑然としたメモもとりあえずこれに記録しています。また折に触れ手紙やメッセージカードを、手書きで書くようになりました。
少し前まで日々の行動記録もノートに書いていましたが、こちらはデジタルの方に分があるように思い、今は最終的に日記アプリに落とし込んでいます。
さて、使う筆記具はたいてい万年筆です。なぜ万年筆か、ということは一度以前に書きました。
しかしそれだけでなく万年筆という筆記具には人を引きつける魅力があるように思います。
万年筆を使うようになってから、そういえば昔もみたような気がするがと、家捜しをしてみると、結構何本も古い万年筆が見つかりました。
それらはたいてい、長いこと放置され、ペン先はインクがこびりつき、軸も傷やほこりだらけだったりしてそれはひどいものでした。けれども、何日も水に漬けてインク汚れを落とし、乾燥させてきれいに拭き上げ、メーカーのカートリッジを挿すと、また書けるようになるのです。
薄汚れて放置された、もう何十年も、それこそ半世紀にもならんとする昔の筆記具が、ふたたび生まれ変わり、また書けるようになる、ぼくはそのことに感動しました。30年40年経って今でも実用になる道具というのは、なかなかありません。数年で廃れるデジタル機器に囲まれた現代では、なおさら感慨深いものがあります。
誰が使ったのだろう、使ったとすればうちの親だったかもしれません。あるいは記憶に薄れているけれども子供の頃のぼくが、誰かにもらったものかもしれません。再びそれを今手にして文字を書いている。何かの縁がこのペンとあったのかもしれないと思うとワクワクしてきます。
さて、手入れをした万年筆にインクを入れてペンを走らせてみると、これが一つ一つ書き心地が全然違うのです。紙に当たる感触、インクの出方、文字の太さ、それらが一本一本違う。これがまた何とも興味深いのです。
ペン先の割方であったり、材質であったり、軸の太さだったり、インクの材料であったり、製造メーカーの方針であったり、それらが複雑に組み合わさってその万年筆の書き心地が決まるのだといいます。そして、一つの万年筆でも、長く使うとペン先がすり減って、書き手のクセを反映した、いわば手にあったペンになるそうです。
いろいろ調べていくと、世の中にはペン収集という趣味もあるということを知りました。まるで美術品かのような意匠で、何十万円もするものがあったりします。数量限定モデルなんてのもあります。ペン先を書く人の好みにあわせて加工してくれる専門家もいます。
そういうのを知ると、まだ書いたことがないペンが、どんな書き心地か体験したいと思う気持ちも出てきましょう。愛用の一本を見つけだして、ペン先を育てる楽しみもありましょう。スマートフォンで、モンスターをゲットしてそれを育てるゲームが流行っています。まだ見ぬモンスターに思いをはせ、気に入ったキャラを育てていく。万年筆収集も同じようなものかもしれません。
ぼくも最初は文字さえ書ければと思ってはいたのですが、いつの間にか万年筆の数が増えてきてしまいました。それにつれてインク瓶からインクを吸い上げて、いろんな色を楽しむようにもなりました。マニアにはほど遠いですが、万年筆の魅力にとりつかれつつあるようです。
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