年明けてずいぶん経ってしまいましたが、今年最初のエントリになります。
昨年は大病をして大荒れの一年だったので、今年はぜひとも大過なく過ごして行きたいのですが、こればかりは運命なのでどうなるかはわかりません。ただいろいろなことを、今まで以上に記録していきたいと思うようになりました。
先日一緒に寝ている子どもの胸に手を当てたのです。手のひらに感じる暖かさ、胸の鼓動。我が子が生きていることを手のひらに感じる、そのことがとほうもない幸せに感じました。けれども、それは本当に小さな幸せで、もう二度と見ることのない儚い夢のように思いました。
最近そうした刹那の感情が、とても貴重に思えて仕方ありません。なにせ先のことがわからないだけに、そういう気持ちになるのは仕方ないかなと思います。それでいて、その貴重な時間は、前よりもさらに速く過ぎ去って、慌ただしさの中に感情は流されていってしまいます。
時間の感覚が以前とはぜんぜん違うのです。すぐに肉体的に、あるいは精神的に疲れてしまうので、一日にできることが本当に少なくなってしまったせいもあるかもしれません。マルチタスクというものができないので、一つの仕事をようやっと終えて、次のことに取り掛かろうとするともう一日が終わっていたりします。
一日のうちにはそれなりのできごとがあって、その時に感じることもあるのに、それらはあっという間に過ぎていく時間に押し流されてしまう。残された時間はどれだけあるかわからないのに。
その焦りがあるのでしょう。一日のうちに起きたできごと、その時の気持ちを何でもいいので書き溜めておくことが必要だと思うようになりました。
今まではSNSをはじめ、日記アプリやカメラアプリを使って、デジタルで記録することにこだわっていましたが、昨年の終わりくらいからは紙のノートに万年筆で記録をするようになりました。
それは日記というものでもなく、今までSNSでつぶやいていたようなことをノートに書いていきます。いや、それよりも言葉の羅列であったり、図を書いたり、他人の目に触れない分、もっととりとめのない書き方をしています。そうして、白かったページが文字や図で埋まると、今日一日生きていたことが確かめられるようにも思うのです。今年はいわば生きた証のために、記録をとっていこうと思います。
ただ、そうしてノートに考えたことを、まとめることができれば本当は一番いいのですが、なかなかそれができないのがもどかしい。この文章だって本当は年始に書こうと下書きをはじめたのに、結局今頃書いているのですから。
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