ジェムザールのあとの生理食塩水の点滴、その最後の一滴が落ちた時「ああこれで終わったんだ」とあらためて思いました。今日予定されていた点滴が終わった、というだけでなく、これで2クールにわたって続けてきた抗がん剤治療のプロセスも終わったのです。そして、ひいては今年の初めから行なってきた、膀胱がんについての治療がこれで一区切りしたのでした。もう手術もなければ抗がん剤治療もありません。あとは副作用である骨髄抑制がどれくらい進むか血液検査をしながら確かめていきますが、副作用はいずれ終息するのですから、退院は時間の問題です。
けれども「終わったんだ」と呟きながら、それは終わったことを自分になんとか納得させようとしている上辺だけの言葉であることに気づきます。終わりの時は確実に近づいているのに、いまだ自分の気持を整理することがなかなかできていないのです。
病室から差しこむこの真夏の日差しを浴びれば、まだ冬の只中に検査入院したのは確かにもう半年近く昔のことだとわかるのですが、その記憶の鮮明さはつい先日のできごとのようにも思えます。そして、4月に膀胱という大切な臓器を取り除き、代用膀胱をとりつける手術をして、肉体的な機能はそれ以前の自分とは全く別のものになってしまったのに、自分の意識が連続していることに違和感を感じることもあります。半年の間に劇的に変化したこの運命というものについて考えだすと、とたんに混乱してしまう自分がいます。
他にできることはなかったのか。この治療の選択は正しかったのか。失ったもの、得たもの。安堵。不安。寂しさ。本当はここで決着をつけるべき心の問題に、未だ囚われている自分の未熟さを、ただ呆然と眺めているような状態です。
ぼくが今やるべきこと、それはこの間違いない事実、「これで一連の治療は終わった」ということを納得するということです。5年生存率がフィフティ・フィフティだとしても、もうやるべきことはやったのであり、病気のことはひとまずおいて、次のステップに向けて気持ちを切り替えるようにしなければいけないのだと思います。頭ではわかっているのです。ただ気持ちを切り替える自信がない。
こういう時は考えるよりも行動することで解決できることがあります。何か運動でも始めれば全然違ってくるのでしょう。退院したらきっとまた体を動かすこと、それはウオーキングでもサイクリングでもいいので、始めようと思います。もっとも、貧血の今は歩くだけでも深呼吸をして息を整えているような状態ではあるのですが…。
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