二ヶ月に一度、血液内科の診察があります。採血をして基本的な血液の状態と、慢性骨髄性白血病特有の遺伝子の異常がないかどうかを検査します。診察は、問診と血圧測定、触診程度のことで、ほんの数分といったところです。
ここのところ血液検査での異常が見られない状況が続いています。今年に入ってからは、検査精度が一桁上がったそうですが、それでも遺伝子異常はないということです。今まで検査結果の欄が「検出限界以下」という表記だったのですが、先日の検査では「検出されず」という表記に変わっていました。意味するところは同じだとは思いますが、何かしらよくなったような気がします。
慢性骨髄性白血病の治療薬であるグリベックは、もう2年以上休薬しています。にもかかわらず遺伝子異常がみられないということで、医者から「これならもう再発もないかもしれないね」という言葉もいただきました。
「全く時代に恵まれましたね」とぼくはつぶやきました。
「そうですね、インターフェロンの頃は、どこまで延命できるかという感じでしたが」
「今CMLでなくなる患者さんはほとんどいらっしゃらないでしょう?」
「ええ、ただグリベックが完璧に効く患者さんもそれほど多くないので、新しい薬が次々開発されているんですよ」
結果がよい状態が続いているので、こちらから申し出て診察間隔を三ヶ月に一度にしてもらいました。投薬のみでほぼ完治などという時代がくるとは思いませんでした。
これまで治療の甲斐なくなくなっていった人たちのことが思い出されます。発病がもう5年でも遅かったなら、彼ら、彼女らが命を失うことはなかったのではないかと思うと、胸が締め付けられるようななんとも言えない気持ちになります。
20年前に発病した当時は、危険はあるけれども完治を目指して骨髄移植をするか、インターフェロンでいずれやってくる急性転化を先延ばしするか、究極の選択をする必要がありました。若ければ若いほど骨髄移植を選択し、そしてなくなっていった人も多かったのです。
ぼくはドナーが見つからなかったことと、無菌室という目の前の恐怖から逃れたい、ただそれだけでインターフェロンを選択したのです。そして新薬の恩恵に預かり今も生きているのです。それは正しい選択をしたからとかではありません。たまたま生き残っているだけのことです。
いや、たまたまというのもおかしい。患者を救いたいという医療者の熱意と、志半ばにして倒れられた患者さんの犠牲によって、ようやくぼくは生かされているのでしょう。彼らを思えば、自分に残された日々を真摯に生きなければならない、とあらためて思うのです。
もっとも一日一日を大事にと思うだけでなく、実践しなければならないのですが、これが難しいもので。