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ミライがいなくなった

12月10日のお昼ころに飼い猫のミライが失踪し、一週間が経過してしまいました。その時のことを思い出すと、返す返すも残念で本当にかわいそうなことをしてしまいました。

この一週間、近所の捜索やビラ配り、警察、保健所等への届けをするなど、できる範囲のことをしてきたのですが、未だ見つかっていません。

いなくなったヤブの中に、ダンボールの箱を置いて、中に使っていた毛布とか食べていた餌とか入れてみましたが、この二日間ほどは動物が入った形跡もありません。

失踪したのが家の前であるので、いつかひょっこり帰ってこないかと希望は持っていますが、これだけ時間が経過すると、もう近くにはいないのではないかとも思います。

いなくなってからというもの、家族の中でめっきり会話が少なくなってしまいました。

「今日は寒いね」といえば、きっと寒い思いをしているのではないかと思い、「ご飯がおいしいね」といえば、ひもじくないだろうかと思います。何かを喋るごとに、いなくなったミライに思いをはせてしまうので、言葉も自然と少なくなってしまうのです。

せめて元気にしておってほしいと思いますが、やはり帰ってきてもらいたいなとも思います。

ごく狭い範囲のことでここで書くのもはばかられるのですが、何かしら情報がありましたら、お知らせいただきたいと思います。また、このたびはFacebook等でたくさんの方にご心配や、はげましをいただき、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

ミライ全身
ミライ近影

特徴:
– メス、生後半年(やや小さめに見えると思います)
– 濃い茶色または鳶色(やや赤みがかった茶色)
– 失踪時は「ミライ」と名が入った銅板の迷子札のついた鈴付き首輪をしていました

いなくなった場所:

ミライがきてひと月

鳶色の猫ミライがわが家にやってきてひと月が経ちました。

来たときはガリガリに痩せていて、よほどひもじかったのでしょう。猫砂まで食べたりしていました。

9月23日

9月23日

やがてわが家にも少しずつ慣れて、子どもたちにも慣れて、自分の居場所を見つけるようになりました。でもやっぱり膝の上がお気に入りです。撫でてやると、時々確認するように顔をあげて覗いてくるのがかわいいんですよ。

9月26日

9月26日

完全室内飼いなので、外には出られませんが、陽のあたる場所で顔を洗ったりしてくつろいでいます。ミライも外の世界にはまだあまり興味が無いのか、窓を開けても外に出ようとしません。

9月27日

9月27日

10月に入ってから、予防接種を受けに行きましたが、便の中に虫がいて接種がなかなかできませんでした。マンソン裂頭条虫というものだそうで、これはカエルやヘビといった爬虫類を捕食するとつくことがあるそうです。うちに来るまでにいったいどんな生活をしていたのでしょうか。そういえば、トイレもなかなか猫砂でやってくれず、風呂場などの水のあるところでやってましたから、水辺で暮らしていたのかもしれません。動物病院では虫下しを飲まされておりました。

古くなった子供の服を敷いた箱をベッドにしたつもりですが、猫の爪とぎの上にいつも座っています。

10月3日

10月3日

現役で使っている子供服の上ではくつろいでいます。あまり脱ぎ散らかせません。

10月3日

10月3日

ところで、ミライはときどき舌が出ています。前にいたニャン太はそんなことがなかったので、なかなかおもしろいものです。

10月7日

10月7日

子猫らしいやんちゃなところが出てきました。床に転がっているペンなどに飛びついたり、子どもがちょっとしたおもちゃをつくるとすぐに飛びつきます。

10月8日

10月8日

一度の虫下しでは効かず、毎週のように病院通いをして、三週目にしてようやく虫がいなくなり予防接種を受けることができました。体重も1.6キログラムとなって見た目もずいぶん大きくなったように思います。トイレもようやく覚えてくれて、ひとりで留守番をさせていても安心になりました。

10月17日

10月17日

この冬には避妊手術を受けようと思っています。メス猫なので生理のときにどうなるのか多少心配でもあります。

名前はミライ

くつろぐミライ
昨日我が家にやってきた鳶色の子猫。ずいぶんお腹が減っているようでした。動物病院でもらったロイヤルカナンの試供品を少しずつ与えましたが、あっという間に平らげて、足りないと見るやトイレの猫砂を食べはじめたのには閉口しました。

何度制しても食べてしまうので、仕方ないわと放っておいたら、気持ちが悪くなったのか吐いてしまい、それ以来猫砂を食べることはやめたようです。もっとも食欲がないよりは、どんどん食べてくれたほうが安心ではあります。

いつまでも猫、猫というわけにいかないので、名前をつけようということになり、子どもたちに考えさせました。長男はいい案がでないようで、考えあぐねていましたが、次男はすぐに「ミライはどう?」と言いました。嫁さんも「未来の別の読み方をするとお母ちゃんの名前になるからいいじゃない」と言います。長男は「なんでもいい」とそっけありません。

「ミライ」「ミライ」…

こうしてミライという名前をもらった彼女といえばまるで聞く耳を持たず、食べるものはないか部屋中をあさっていました。呼ぶ方もつい「にゃんた」と言ってしまうことがありますが、だんだん慣れていくでしょう。

我が家に来て二日目。仕事でなかなか面倒をみてやれませんが、たまに部屋に戻ると、ミライは陽のあたる窓際に居場所をみつけて、それなりにのんびり過ごしているようです。ただ、よほど猫砂に懲りたのか、トイレを使わずバスマットの上に立派なうんちをしておりました。がっくり。

再び猫を飼う

新しく迎えた猫
にゃんたが亡くなって半年余り。わが家に新しい猫がやってきました。

もう動物を飼うのはしばらくいいや、と思っていました。どうしても死に目は辛いし、飼うことで日常生活にどうしても制約がかかってしまいます。それでも今回猫を飼うことになったのは、やはり見捨てるに忍びないことでしょうか。

市内の児童クラブにその猫は捨ててあったそうです。スタッフの方が保護されましたが、施設にはいろいろなお子さんがこられることから、そのまま飼うわけにいかず、新しい飼い主を探されたのでした。友達経由のFacebookの投稿でそれを知りました。

にゃんたのときもほうぼうに飼ってくれないか案内したけれども、猫というのは案外貰い手が少ないことがあります。一度は、このまま見なかったことにしようと思いましたが、二度目にまだ貰い手がないことを知り、貰われなかった行く末を考えると動かずにはいられませんでした。

家族会議をしたところ子どもたちも飼いたいとのことでしたので、保護されている方に連絡をとって会わせてもらうことになりました。ぼくとは別にもうひと方、飼うことを希望されているということで、まあ貰い手があるならいいかなとも思いましたが、ともかく会いにいきました。

その猫は、ちょっと見たことのないような鳶色の毛並みをしたメス猫でした。まだほんの子猫で、生後数ヶ月。たぶんにゃんたを拾ったときもこれくらいの大きさだったように思います。目が大きくはっきりして、人にすぐ寄ってきます。やはり飼いたいなとも思いました。

飼う意志のあることを伝えて、いったん帰ったところ、やはり譲るということでご連絡をいただき、その日のうちにキャリーをかかえて猫をひきとりに行きました。

そのまま動物病院に連れていき、今後のスケジュールを話しました。ワクチンも打たねばならないし、近い将来避妊もしなければなりません。最近は、マイクロチップの埋め込みも勧めておられるそうです。

夕方わが家に連れて帰りました。すっかりおとなしくなった猫は、恐る恐るキャリーから出ると、周囲を探るように歩いています。子どもたちが喜んで近づこうとすると、さっと逃げますが、そのくせどこか行こうとすると後をついてきます。

よほど腹が減っているのでしょう。更にフードを出すとあっという間に食べ尽くしてしまいました。ただ、様子を見ながらフードを与えていかねばなりません。

まだ名前もつけてないのですが、ぎこちなく猫のいる生活がふたたびはじまりました。これから何年一緒にいてくれるでしょうか。ひょっとするとぼくよりも長生きするかもしれません。それならそれでいいか、とも思います。

嫁さんがいいました「今日、にゃんたが来たのよ」。

そうか、すっかり忘れていたけど、にゃんたがうちに来たのは2001年の9月23日。この子がうちに来たのも9月23日。不思議なご縁があったのでしょう。

ありがとう にゃんた

うちにやってきた時のにゃんた
我が家の飼猫にゃんたは、2001年の秋、当時やっていた喫茶店の前に佇んでいました。まだ生後一月かそこらでした。ほうぼう飼ってくれる人を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

当時結婚して3年。ぼくの病気のせいで子供は無理だろうといわれていたので、きっと子供の代わりに我が家にきてくれたのだと思って飼うことにしました。

家でくつろぐにゃんた

トイレのしつけはなんにもせずとも当たり前のようにトイレで用を足しました。餌がほしい時は、鳴くこともなく、皿の前でいつまでもじっと待っていました。人見知りもせず、来客があれば自分から擦り寄っていく、本当に手間の掛からない猫でした。

それから後に、思いもかけず人間の子供が生まれました。きっと、にゃんたは招き猫だったんだと夫婦で話しました。親の愛情が人間の子に移っても、にゃんたはへそを曲げるようなことはあまりありませんでした。子供にちょっかいを出すこともなく、ちょっとだけ距離をおいていつもそばに寄り添っていました。

こどもとにゃんた

やがて子供が成長して、お父さんの膝の上を占領するようになったら、それまでの特等席を子供に素直に譲りました。子どもたちがちょっかいを出すようになっても、たいていされるがままにしておりました。しっぽを踏んづけた時はさすがに怒りますが、フーッというだけで反撃するようなことはありませんでした。

ぼくが3年前にがんで入院をした時は、にゃんたも歯肉炎がひどくなり抜歯手術をしました。そのときのことはこのブログにも書きました。

第2クール第9日 ニャン太 | fumiton.nyanta.jp

同じようなときに飼い主とともに手術沙汰になるとは、まるでぼくの痛みの半分を引き受けてくれているようでした。

痛々しいにゃんた

近頃は随分大人しくなり、いつも暖かい場所で寝てばかりいました。平均12歳程度といわれる猫の寿命からすると、15歳になったにゃんたはすっかりおじいさんでした。

窓辺で眠るにゃんた

2月に入ると、めっきり餌を食べる量が減り、だんだんと痩せこけてきました。動物病院に連れて行くと、先生は「なんでこんなになるまで連れて来なかった」と怒りました。腎臓がほとんど機能していないせいか、水をよく飲む割には脱水症状が進んでいました。レントゲンでは内臓に影があり、骨格に歪みもあり、いろいろなところが悪くなっていました。

点滴をして、色々なタイプの餌を渡されました。いろいろ変えてみて、とにかく食べられるかどうか試してみよとのことでした。

家に帰ってからいろいろと餌を変えてみましたが、どれもわずかしか食べませんでした。老齢となったにゃんたが、まるで自らの意志で食事を拒否しているように思えました。きっと彼は、従容として死につかんとしているのだと思いました。

最後に動物病院に連れて行くと「入院するかどうするか、治ると思うなら入院させなさい」と先生は言いました。ぼくは入院させないで家に連れて帰ることにしました。

栄養を無理やり与えるのではなく、自然に任せてこうして枯れ木のように死んでいくのは、きっといきものの本来の姿なのだろうと思いました。きちんとこのまま最後まで見守ってやろうと思いました。

その日、にゃんたはいつものように足をかかえ座ると、透き通った目でぼくを見つめました。悟ったような、ぼくの心を見透かすような、澄んだ目でした。それから目を閉じて、また眠りました。

動物病院に行った最後の日

衰えはあっという間でした。その日の夜には、立つと後ろ足が震えました。前足と後ろ足を投げ出して、ぺたっとじゅうたんの上に潰れたように寝ました。横たわるにゃんたを前に、家族とこれからのことについて話をしました。

このまま餌が食べられなければ、やがて衰弱して死んでしまうだろう。でももう治す方法がないので、病院にはかからない。これからは一日一日が大切だから、みんなで最後まで見守ってやろう。

子どもたちは泣きました。特に次男は普段からにゃんたをかわいがっていたので、大声で泣きました。長男は「まだ可能性はあるから、泣いたっていけない」といいながら目をおさえました。嫁さんはその日からにゃんたと添い寝をすることにしました。

翌日は、もう立つこともできませんでした。這って布団からでてきて、さらに平べったく寝そべりました。ただお腹が上下に動くので、まだ生きているとわかるのでした。口元に水を持って行ってやってももはや飲もうともしませんでした。

夜になると、薄目をあけて顎が落ちてきました。体を動かそうとするけれども、うまく動かないので、向きをかえてあげたり頭を支えてあげたりしました。長男は「まだ可能性はあるんでしょう」と聞きました。ぼくは「水も飲めなくなったし、もう可能性は無いと思う」と正直に言いました。その日、はじめて長男は激しく泣きました。

最後の日の朝は、もうお腹が動いていませんでした。時折、ぴくっと全身が震えて、それでまだ命がつながっているサインでした。少しずつ体も冷たくなってきていました。子どもたちに「たぶんもう最後だからなでてあげなさい」といいました。

子どもたちが学校に行った後、しばらくすると体の震えがとまりました。嫁さんが抱き上げると首ががくっと落ちました。2月25日午前7時50分、にゃんたは15年ちょっとの生涯を閉じました。

にゃんたの亡骸を抱く

どこか痛いとかいって鳴くこともありませんでした。動けなくなってから2度ほど吐きましたが、おしっこを漏らすことはありませんでした。誰にも何も迷惑をかけずに息をひきとりました。本当に立派な死に方だったと思います。

その日、家でひとりにしておくのも可哀想で、毛布にくるんで事務所のぼくの机の横に寝かせてやりました。だんだん固くなっていく体を時々さすってやりながら、ちゃんと葬式はしてやらんといかんと思いました。

夕方、子どもたちが帰ってくるのをまって、ペット専門の斎場に行きました。料金計算のために体重を測ると2.9キロでした。それは元気だった頃の半分以下の重さでした。にゃんたはきれいな箱に収めてもらい、祭壇のある部屋で最後のお別れをしました。

最後のお別れをする

たかだか飼猫が死んだだけではないかと言われるかもしれません。けれども、にゃんたとすごした15年間は、ぼくら夫婦の歩みでもありました。常に身近にいたにゃんたの死は、家族に深い悲しみをもたらしました。そして、にゃんたは自らの死をもって、家族に大切なものを教えてくれたように思います。

毎日そこにいるのが当たり前の存在だったにゃんたがもういない事実は、子どもたちにはとてもショックだったと思います。昨日と同じ日は二度と無いこと、一日一日を大切に過ごさないといけないことをにゃんたは教えてくれました。

また、家で最後を看取ることができたのは、とてもよかったと思います。現代は生命が尽きる瞬間を目の当たりにすることはなかなかありません。だんだん衰弱していくにゃんたを見るのはとても辛かったですが、生と死について考える貴重な機会を与えてくれました。子どもたちもきっと感じ取ってくれたと思います。

にゃんたは骨になって家に帰りました。すべての骨が納められた小さな骨壷を見て、ようやく気持ちが落ち着いたように思います。残されたものが気持ちの整理をするために、こうした儀式は必要なのでしょう。それが人であれ動物であれ、葬儀というのはそういうものかもしれません。

ありがとうにゃんた。一緒に暮らせてよかった。

在りし日のにゃんた

第2クール第9日 ニャン太

病院に向かうニャン太
今日は入院日記ではなく、我が家の猫が手術を受けた話を書こうと思います。

我が家にはニャン太という老猫がおります。齢13ですから人間の歳にして70歳くらいでしょうか。大きな病気をすることもなく安楽な日を送っておりましたが、しかし齢も十数年となると、生来の活発さがなくなり、ひなが一日寝て過ごすことも多くなっておりました。

先日、ぼくが三週間の入院を終えて自宅に帰ると、ニャン太は右の目からは涙を流し、クシャミをしているではありませんか。風邪でも引いたのかと聞くと、嫁さんははじめて知ったとばかり驚いておりました。数日は様子を見たけれども、なかなかよくならないので、ともかく動物病院に連れて行って診断を仰ぐとこれがなかなか重症でした。

先生の曰く「歯周病にかかっており、その菌が歯頸を貫いて鼻腔まで達し、このようなクシャミをして、涙が流れている」と。また血液検査の結果、老齢によって腎機能が低下しており、通常のエサではなく腎臓病の治療食に切り替えなければならないとのことでした。体重も随分減っており「エサを食べていましたか」と問われても、ぼくはもとより嫁さんも答えられませんでした。猫のことにかまっていられないほど、彼女も生活にくたびれていたのです。

治療するには悪くなった歯を抜いて、菌の鼻腔への浸潤を防ぐことが必要で、その手術日は24日と定められました。また治療食への転換も同時に進めなければなりませんでした。ニャン太は、歯の痛みに加えて突然のエサの切り替えに戸惑い、数日はほとんどエサを食べず心配をしましたが、だんだん痛み止めの注射が効いて治療食にも慣れたか、エサの量が増えてきて安心をしました。

やがてまたぼくは病院に住まうことになり、果たして昨日嫁さんは彼を動物病院に連れていき、一日入院させて今日連れて帰りました。手術はなんとか終わり、術前は絶食だったせいもあって、エサをがっつくように食べていると報告を受け、安心しました。一方、その手術代については愕然としました。が、それも仕方ないかと請求通り払わせました。

ニャン太は2001年秋、まだ生後数ヶ月の時に店先の道路にぽつねんと立っていたのを保護し、以来里親を探すこと数週間を虚しくすごすうち、たいていの猫飼いの例にもれず、情が移って我が家の飼い猫となりました。

子どものいない夫婦にとっては、我が子同様、動物病院での戒めを守り、屋外に出さず、人の食事を与えず、プレミアムフードをあてがい大事に育てました。後年、諦めていた人間の息子ができて、親の愛情がそちらに自然と移ってしまったのですが、子どもに危害を加えることもなく、かえって子どもに虐められてもするりと抜けだして距離をおくなど、温厚にして聡い猫でありました。

いたずらもよくし、我が家の壁は彼のツメによってぼろぼろですが、お腹が空くと騒ぐこともなく皿の前にじっと座ってエサをくれるのを待ちつづけ、ぼくがあぐらをかくと必ずその間に納まって喉をならし、床に横になればしめたとばかり腹の上に乗って寝息を立て、お風呂に入ろうとすると必ずついてきて浴槽のお湯を飲むのが大好きな、愛すべき猫です。

なんといっても彼はやはり家族の一員、いってみれば我が家の長子でもありますから、まだしばらくは安楽な余生を過ごしてもらいたいのです。奇しくも、主人であるぼくがこうして病に伏せ、また彼も病にかかったのは、主人の痛みを少なからず彼が引き受けてくれたのかという気持ちもしないでもありません。だとしたら、多少の手術代を云々言うも詮無いかなと思うのです。

この手術の成功を吉兆とし、彼が無事家に帰ったように、ぼくもまた治療が順調に進み、家に帰られるといいなと思います。

サイエンス・ダイエット大袋買ってみた


うちには齢11歳になる猫がおります。名前はニャン太といいます。2001年に当時やっていた喫茶店の前にぽつねんと一匹立っていて、あまりにかわいそうだったので保護したのが運の尽き。そのままうちの飼い猫となりました。

さて、そのニャン太が普段食べているのはサイエンス・ダイエット。飼い始めた時に診てもらった獣医師に薦められてずっと食べさせています。病気らしい病気もせず元気に過ごしているのは、この餌のおかげもあるのかなあと思いますが、ちょっとお高めなんですよね。

最初に獣医師に「高いな、と思うかもしれないけれど、人間の食費を考えてみい、それに比べたら全然安いだろう。家族の一員なんだからいいものを食わせてあげなさい」と言われ、そのとおりだなあと思うのですが、やっぱり少しでもお安く買いたいですよね。

だいたいホームセンターなどで買うと2㎏入の袋で2千円くらい。どうかすると特売で1,700円くらいで買えるときもありまして、そういう時を選んで買っておりました。ところが最近なかなかセールしなくなってるんですよ。

まあこういう時に便利なのが通販でして、クレジットカードのポイントを楽天に注ぎ込んでいるので、そちらで買うことにしました。そこで物色していたら、アメリカ製の輸入品なんですが、7.9㎏という大袋を見つけました。しかも送料込みで5,450円。1㎏あたり700円を切っています。これは安い。

大袋ということなので保管が心配ではありましたが、安さにつられて思わずポチリ、昨日到着しました。想像以上にデカかったです(^_^;)。もうどうしようかというくらい。冷静に考えてみれば8㎏のものを買えば、10㎏のお米袋と同じような大きさを想像すればよかったのですが、すっかりイメージが湧きませんでした。

中身はいつものサイエンス・ダイエットですし、この大きさをどうするかということと、保存さえしっかり気をつければ、お得な買い物だと思います。こちらのお店は発送も迅速でいい印象でしたよ。