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長男にエビリファイを投薬する

長男の広汎性発達障害について、自分自身勉強を重ね、理解することに努めてきました。学校においても家庭においても、彼がリラックスして過ごせるような生活環境をととのえるよう努力もしたつもりです。しかし、そのような努力をしても、彼の状況は、なかなか改善できませんでした。

いろいろな問題がありますが、一番大きな問題は、ささいなことで感情が爆発すると、それをコントロールできないことです。本人も、冷静なときは感情をコントロールすることの大切さをわかってはいると思うのですが、何かことがあるとすっかりキレてしまい手が付けられなくなります。

また、感覚が妙なところで敏感であるのも彼を困らせる原因です。例えば教室で授業を受けていると、がやがやとした音が彼を苛つかせる原因になり、教室で授業が受けられないことがあります。また、ふと体を触られるのも彼にとっては許しがたいようで、それが感情爆発の原因になることもあります。

おそらくは彼もそれではいけないと思っているのですが、残念なことに自分自身でなかなかコントロールできません。そして、冷静になった時に「ああ失敗をしてしまった」「自分はだめだ」と自己否定に向かってしまう。それが、また問題でもあるのです。

そこで、このような状況をコントロールするために、医療の助けを求めて、精神薬を使った治療を行うことにしました。

心を薬でコントロールするということへの抵抗感をずっとぼくは持っています。人間の根本である精神を、外から制御しようということは本当にいいことなのだろうか、と思います。ですから、ずいぶん悩みました。しかし、長男自身が一番苦しんでいるだろうそのことが、薬を使って少しでも楽になるのならそちらのほうがいいようにも思い、お願いすることにしました。

投薬するために処方されたのはエビリファイという薬です。統合失調症などに使われる薬で、脳内のドーパミンの量を調節することで、精神を安定させる作用があるそうです。神経遮断作用があるわけではないので、副作用は少ないそうですが、手足のこわばりなどがあらわれた時は注意するように言われました。眠気やぼんやりすることはよくあるようです。

現在、服用をはじめてほぼ1カ月になりましたが、すぐに薬の効果は現れました。以前とは比べ物にならないくらい、生活が落ち着いてきたのです。以前なら感情を爆発させて物にあたっていたであろうトラブルでも、感情を抑えられるようになってきたのです。全体的に緊張感がやわらいで穏やかな表情を見せるようになったので、家庭内の雰囲気もよくなってきました。また、学校でも教室に入れる日が多くなってきて、学習に向かえる状況になってきたようです。

時々は以前のように感情を爆発させて手がつけられないこともありますが、その頻度は確実に少なくなりました。

病院には二週間に一度、経過を報告するために通っていますが、よく効いているほうだということで、このまま投薬をしばらく続けていくことになりました。

もちろん投薬がすべてを治すというわけではありません。たとえ薬の力があったにせよ、「教室で過ごすことができた」「パニックにならなかった」という成功体験を重ね、彼にいろいろな状況に対処できる自信をもってもらうことが必要なのだと思います。失敗した時にフォローし、成功した時に持ち上げてやることが、今親としてできることなのだろうと考えています。

十歳の誕生日に贈る

君が生まれた時に、どれほどお父さんとお母さんは喜んだろう。
病気のせいで子どもを持つことを諦めていたところへ、君は生まれてきてくれたのであった。

それから十年が経った。
十年といえば、ひとつの節目に違いない。

泣くことしかできなかった君が、やがて言葉を覚え、今や自分の気持ちを語れるようになった。
ぼくは君と親子じゃなく、人間対人間として話せるようになったことを嬉しく思う。

だが成長した君の目には、この世の中はなんと矛盾に満ちた納得のいかないものに映っていることだろう。

社会のルールというものが、どんなに無駄で非効率なものか君は主張する。
無駄なルールに従う気はないと最初に言う自分が罰せられるのは何故かと君は問う。
ルールを守るふりをして守らない人がいるのに罰せられないのは何故かと君は問う。

君の言うとおりなのだ。この世は無駄で矛盾なものがいっぱいだ。

いろんな人がいて、いろんな考えがある。
それぞれが勝手気ままな行動をしたらどうだろう。
意見が違うからと相手を殴ってばかりでは、きっと一人きりになってしまう。
人間は一人では生きていけないんだ。隣にいる人と協力しないと生きていけないんだ。
そのために人は、話し合い、協力し合い、なんとか折り合いをつけて、社会をつくってきた。
それがルールなんだ。

たくさんの人が話し合って決めたルールは、一つの基準であることを、少なくとも認めなければならない。
それが如何に無駄で非効率であろうとも、君自身が決めたルールよりも重いものだということを認めなければならない。
もしそのルールがおかしいと思ったら、話し合って解決しよう。
感情のままに怒ったり、相手に暴力をふるったりしてはいけないのだ。

確かにルールを守らない人もいる。なおかつ罰せられない人もいる。
その判断があまりに曖昧なので、君は納得がいかないのだよな。曖昧な判断こそが君を混乱させる元凶なのだから。
しかしそうであっても君は自分の感情をコントロールする術を覚えなければならない。
ルールを破る人を罰することができるのは、そのルールを決めた人たちだということを、君は覚えなければいけない。
ああ、そんなつまらないことを覚えることは、君にとってどんなにか辛いことだろう。

そのことで今までずいぶん悔しい思いをしてきたよな。
今の君には納得し難いだろうが、でもこれらを生きるためのテクニックとして学んでいこう。そうしないと、これからの人生を君は苦しむことになってしまう。

次の十年で君は大人になる。
きっと、今まで以上の困難が君を待ち受けているだろう。生きることがつらいと思うこともあるだろう。
そういう時に、他人に助けを求めることができる人になってほしい。
助けを求めることは負けることじゃない。
それに、君が思うほど世の中は冷酷な人ばかりじゃないと思うぞ。
いつか君が本当に信頼し、愛することができる人に巡り合うことを祈る。
お父さんは、きっと生き永らえて、君を守る努力しよう。

アスペルガー症候群の我が子をどう導いていくべきか

我が家の長男は、高機能広汎性発達障害、名の知られた言い方でアスペルガー症候群と言われる特質を持つことは、これまでにも何度か書きました。

知能的に問題があるわけではないけれども、社会適応能力に問題があるこのような児童に対して、今の小学校では、特別に担当教諭をつけてもらったり、必要であれば別室での個別指導をしてもらったりと、たいへん手厚く支援をしていただいています。

今、学校では無理矢理に教室にとどめようとしたり、全体集会に参加を無理強いするようなことはありません。強権を持って従わせる行為が、パニックなどの二次障害を引き起こす可能性があるからです。個別指導や、教室内では彼に負担のかからない程度の役割分担などをさせて、彼の日常生活に少しでも自信を持たせ、よいところを伸ばそうという方針で臨んでいただいています。

しかし、授業に参加できないことも多く、いかに地頭がいいといっても中学年にもなれば、次第に学習についていけなくなってきているのも事実です。学習に対してのやる気のなさ、理解することを拒絶するような態度は、身近に見ていると本当に心配になります。基礎的理解ができなくなると、それが悪循環となって、ますます学習が苦痛になっていくようです。

アスペルガー症候群の子どもにとっては、自分の興味が持てないことに集中して取り組むことは普通の子ども以上に難しく、苦痛ですらあるそうです。物事の全体像や因果関係が把握できないので「がんばる」のは何のためかということが理解できず、がんばること自体が無意味に思うのです。彼が学習を拒否するのは、その必要性を認めないからなのでしょう。

そうはいっても、学習が遅れていくのを甘んじて受け入れることは、親としてなかなかできないという思いもあります。小学校ではまだ手厚い支援もありますが、中学、高校になればこのような支援は受けられなくなるでしょう。授業について行けず、社会適応能力も劣るとなると、将来どうなってしまうのかと不安にもなります。

普通の子ならば「勉強しなさい!」の一喝もありでしょうが、彼にとってはそれが強迫となり二次障害の原因ともなってしまいます。普段の意思疎通は問題なくできるので、心を込めて語り合えばきっと理解して「がんばって」くれるのではないかと思ってしまいます。でも、現実は難しく、一緒にやろうとしている夏休みの宿題も、まったく進まなかったりします。

これまでぼく自身、発達・教育相談支援センターで相談に乗ってもらったり、医療機関にかかったり、学校との面談を繰り返しながら、彼の特質について勉強もし、理解もしようとしてきました。そして、いろいろな人にどうすればよいのか助けを求めようとしました。

しかし、彼の何が問題なのか、どういう障害なのかは、みな同じ認識であるけれども、どうすればそれがよくなるのか、ということは示してもらえません。人によって症状の程度が全然違うので、彼にとっての最適解は、誰もがわからないのです。学校の今の支援も手探りであるし、なかなか精神障害までとは言い切れないので、医療の手立てもありません。

この先、社会適応能力をある種のルールとして身につけていく作業療法をする必要があるかもしれません。集団の中での気持ちを落ち着けるため、薬物療法をする必要があるかもしれません。最悪、普通教育をあきらめるのが彼にとって幸せなのかもしれません。

彼をどう導いてやればいいのか。

子どもの将来は無限です。アスペルガー症候群特有の、物事にこだわる特性を活かせば、何かをきっかけに大きく伸びるのではないかという期待もしてしまいます。そこで普通教育をあきらめたり、枠をはめて可能性を阻んでもいいのだろうかという思いもあります。

その一方で、このまま放置をして、社会不適応をこじらせれば、引きこもりや鬱症状が出たり、あるいは社会に対しての極端な攻撃性が表れるかもしれません。そのためには早めに自分をコントロールするための治療を行うべきなのかもしれません。

どうするにせよ、最終的には親である自分の責任をもって、彼を導いてやらねばならないのでしょう。彼を最終的に「保護」できるのは、文字通り保護者であるぼく自身でしかないのです。

彼が将来、社会的にある程度適応する能力をもち、平穏に暮らしていけるまで導いてやりたい。ただ、ぼくには彼の成長を見守るだけの時間が残されていないかもしれない。本当は長い目で、もっとゆったり構えるべきことかもしれないけれど、その焦りもあって、日々煩悶しているのです。

長男のサッカー練習試合を見る

先日、サッカー部に入った長男がはじめて他校との練習試合を行いました。送迎は嫁さんにやってもらったのですが、ぼくも少しだけ時間をもらって見に行きました。

長男の小学校と、他の二校との巴戦で15分程度のゲームを延々と繰り返しています。なかなかハードで、A校と対戦したら次はB校と対戦。その後休憩…といってもコートの外でリフティングやシュート練習をやっているわけで、休む間がありません。午後1時過ぎから5時位まで延々と身体を動かし続けたのだそうです。

背番号73がふってあるユニフォームは日本代表のような青で統一されています。まだ新しいそれを着て、長男は走り回っていました。

小学校3年生のチームですし、こないだからはじめたばかりなので、技術的戦術的にどうこう言えるような試合じゃないです。ボールのある場所に全員が寄って行くし、スペースが開いていてもパスをするのではなく、ドリブル突破をはかったりしています。もっとも低学年の段階では、ボールコントロールを身に付けることが大切なのかもしれません。

それでも長男を見ると、相手の動きをよく見て先回りしてボールを奪ったり、相手とゴールポストの間に身体をいれてシュートコースを消したりできているように思いました。また、接触して転がされても諦めずにボールを追っていたのも印象的でした。

前に長男をサッカー部に入れることにだいぶ逡巡をしたことを書きましたが、今のところは入れて本当に良かったと思います。

長男サッカー部に入る | fumiton.nyanta.jp

まず第一に、饒舌になりました。以前は学校の様子などを聞いても「別に」と言った感じで会話が進まなかったのですが、今ではサッカーに絡めるとどんどん話すことができます。そしてその話の中に、友だちの名前がよく出るようになりました。そして、友だちのいいところも語れるようになったのです。以前の彼からは考えられないことです。

そして第二に、サッカー部の道具だけは自分できちんと手入れや準備ができていることです。今までは学校の準備をやれと言っても動かず、しつこく言えばキレていました。それが、汚れ物は自分で洗濯機のところまで持って行き、傷まないようネットにさえ入れています。当日の練習準備では、自分でウエアを用意してエナメルバッグに詰めています。

まだ弟との関係が悪かったり、感情が突然爆発することもありますが、上手く誘導してやれば本当に穏やかに過ごすことができるようになりました。

別の日に校長先生や教頭先生ともお話する機会があったのですが、3学期に入ってかなりの時間を教室で過ごせるようになったそうです。新学期になってまた環境が変わると、どうなるかが心配ではありますが、サッカーという自分が熱中できるものを拠り所にして、自分の存在する場所を確保していけたらいいなと思います。

子供のプレゼントに単眼鏡 MIZAR MD-718 を買ったので子供がいない間にこそっと借りてレビュー

ミザールMD-718
今日は長男の9歳の誕生日。プレゼントをくれくれと随分前からいわれていて、本人はラジコンやゲーム機を所望していたようですが、あんまりおもちゃを与えたくないし、それでもがっかりさせたくもないものです。迷った末に、単眼鏡を贈ることにしました。

子供たちはフィールドで遊ぶことも大好きで、先日もサヒメルなどへ行くと熱心に双眼鏡などを覗いていたものです。双眼鏡も考えましたが、大げさになるし、長男は斜視があって双眼鏡でものを見ることが苦手のようです。単眼鏡ならば、片目で覗けてコンパクトに収まるのでちょうどいいかなと思いました。

もっとも、子供の使うものですから、あんまり高価なものをあげても仕方ないので、安くてそこそこ性能がよさそうなものということで、ミザールのMD-718というのを買いました。子供の頃、宇宙大好きだったぼくが、なんとか買ってもらえそうな望遠鏡といえば、ミザールかヴィクセンのものであったと思い出します。

価格が安かったので、おもちゃのようなものかと思っていましたが、まずまず良く見えました。7倍くらいの倍率は手ブレの影響は少ないけれども、望遠の効果もしっかり感じられてちょうどいい倍率だと思います。意外と短距離もいけて、1m切ってもピントをあわせることができました。

じっくり景色を眺めていると、やっぱり諸収差がまとめきれていないので、遠くの細かいものをみたときは色が滲んでいるように見えることもありますし、中心部はしっかりとピントが合いますが周辺は画像が流れてしまいます。が、価格が価格ですから文句を言うのも野暮というものでしょう。

ある程度重量感もあって、携帯ポーチとストラップにレンズを拭くクロスもついていて、たぶん子供には安っぽく見えなかったと思います。朝渡したら、長男はさっそく首にかけてずっと持ち歩いていたので、喜んでいたようです。

「感謝の言葉がないなあ」
とぼやくと、なんと帰ってきた言葉が、
「誕生日にプレゼントをくれるのは当たり前でしょう」
ときたものです…。
「そんなだからお前は、学校で問題児になるんだ。こういう時は感謝するものなの」
と言ってようやく
「ありがとう」
の言葉がでました。まあ長男にはいろいろ泣かされますが、これからはあんまりかっかしないようにしたいものです。

ところでこういう時は、弟にもおんなじものを与えなければ何かとトラブルになるので、今回単眼鏡は二個買っています。誕生日プレゼントを用意するのもなかなか大変なのです…。

まがたまの里伝承館で宝石探しと勾玉つくり

日曜日で退屈をしている子供たちが、どこかに連れて行けと駄々をこねます。天気もあんまり良くないし、ぼくもまだ本調子ではないし、屋内で何かできるところということで、玉湯町にある、いずもまがたまの里 伝承館に子供を連れて行ってきました。
\"まがたまの里伝承館\"
入り口には、勾玉の展示などがあり、店内ではめのうなどの貴石を使ったアクセサリーが売っていたりという、まるっきり観光客向けの施設ではありますが、我が家の子供は結構ここに来るのが楽しいみたいです。
\"こんな宝石がとれるらしい…\"
子供たちが楽しみにしているのは宝石探し。「宝石探し体験館」という施設があって、ここには水槽の中に宝石が混じっている砂利が敷き詰められています。ここでお金を払うと制限時間の間、宝石を探しまくることができるというわけです。料金はおとな800円、こども500円。制限時間は30分。受付を済ませると浅いスコップとビニール袋を渡されて、一生懸命宝石を探すのですが…。
\"宝石を探す\"
これがなかなかみつかりません。宝石は磨いたものが入っているので目立つのは目立つのですが、埋まっている数が少ないのか、そう簡単には見つからないようにできています。それでも探すということが楽しいのでしょう、長男は特に喜んでやっていました。
\"とれたのはこんな石。\"
制限時間がきて、拾えた宝石の数が少なかったときは、係の人がはかりに乗せながら補充してくれるので、全部で30個くらいはまずもらえるようになってはいます。
\"まがたま作りに励む\"
その後、嫁さんと長男は勾玉作りの体験をしにいきました。こちらは蠟石というやわらかい石をヤスリ等で削り、きれいに磨いて勾玉を作る体験ができます。だいたい作業時間は1時間くらい。
\"松江ラーメン\"
その間、ぼくと下の子は一緒にラーメン食べてました。
\"完成したまがたま\"
時間になって迎えに行ってみると、自分で作った勾玉ネックレスを首にかけた長男が自慢気に出てきました。丁寧に指導してもらったようで、なかなか格好良くできています。上手くできなかったりしたら途中で投げ出してしまうような子供ですから、本当はちょっと心配だったんですよね。でも、得意げなその様子に素直によく頑張ったなあと褒めてやりました。

しかし、勾玉の素材と授業料で一人800円と聞いていたのですが、ネックレス用の紐が200円、飾りのビーズが一個50円とか80円とかで、結局二人で3,000円以上かかってしまいました。なんかうまい具合にお金を吸い上げられた感じではあります。それでも嫁さんの話では、勾玉作りはいい体験だったようです。

今までなかなか家族サービスできなかったけれど、今週はなんとか子供たちにも喜んでもらえたかな。午後からは爆睡でしたが…。

長男は高機能PDDか

今日から小学校は二学期となります。子供たちは荷物の多さに不平を言いながら、朝7時半にはそれでも元気に集合場所へ向かって行きました。

二学期を迎えるにあたってやはり気にかかるのは長男のことです。一学期も教室に入れないなど問題行動があって、夏休み前にも学校の先生やスクールカウンセラーとの面談を行ったりしてきました。担任の先生から、二学期を前にしてまた面談を行いたいとの電話をいただき、昨日小学校に行ってきました。

ぼくと嫁さんとで小学校につくと、教頭先生と担任の先生、養護の先生が迎えてくれました。教頭先生はこの春に赴任されたのでぼくは初顔合わせになりましたが、今回の面談では教頭先生が主導でお話しをすすめるということでした。

長男の夏休みの様子や家庭でどのように子どもと関わっているかということについて話しましたが、その中でうちの長男が高機能PDD(知的障害のない自閉的発達障害)である可能性を指摘され、医療について親御さんとしてどのように考えているかと問われました。

これについて、ぼくも以前から考えないではありませんでした。頭の回転は非常に早く知能も高いけれども、協調性に乏しく他人に厳しく自分に甘いため、叱られたりすると極端な自己否定感情に走ってしまうといううちの長男は、いわゆるPDDの典型的症例に合致するからです。けれども、親としてはその可能性を認めたくないし、できるなら医療に頼らず、生活環境をととのえることや指導によって本人がかわってくれるのではないかと考えておりました。しかし、小学校では長男についてはPDDであるとの認識に立って、支援をしていきたいと言われたのです。

学校では特別支援教育に力を入れていることを説明されました。知能的には全く問題がないけれども、情緒的に不安定で協調性がとれないなどの子どもは全体の6〜7%おり、各クラスに一人か二人は必ずいるそうですが、それを通常学級の中で、学校全体として支援や指導をしていこうというのが特別支援教育だそうです。

彼にとっても他人との距離感がはかれないことに困ってどうすればいいかわからない状況の中で、脅迫的指導などをすれば二次障害として物にあたったり、パニックを起こしたりする状況になると言われました。これから次第に学年があがっていけばクラスメイトとの関係も厳しくなるので、彼にとっては小学3年生のこの二学期が正念場であり、きちんと学級に残れるようにもっていくためにも、学校と家庭、そして医療機関も含めて支援をしていきたいということでした。

親としてはかなりキツイ話ではありましたが、学校がきちんと状況を説明してくれたことはよかったとも思いました。教頭先生は、自分の息子もかなりの暴れん坊で小学校ではいろいろな問題を起こしてきたから、わが長男の気持ちはよくわかるとおっしゃいました。医療=治療ということではなく、相談相手として医療機関を活用されてはどうかと提案もしていただきました。

子どもが発達障害であることは正直、受け入れたくはないのですが、親としても子育てに悩んでいたのは事実です。子どもとの向き合い方を学ぶためにも、学校や医療機関の助けをいただきながら前向きに取り組んでみようかとも思います。