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旅の終わりは列車で

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出張で石川県金沢市に行ってきました。今回なぜか羽田経由の空路で行き来する日程だったのですが、帰り道にぼくだけ東京でおろしてもらいました。

旅に出ることがあまりないぼくにとって、こういう機会はめったにないので、くも膜下出血でたおれた東京の親戚のお見舞いと、大阪にいるtwitterの友達をぜひ訪ねてみたかったのでした。

そしてもうひとつ理由があります。ぼくは若い頃から鉄道の旅が大好きなのです。若いときは、一筆書き切符というのですが、松江からぐるっとまわって東京に、しかも鈍行でいったりしました。

飛行機の旅ももちろん好きです。鳥よりも高く飛ぶなんて滅多にできません。いつもよりも濃い青空やミニチュアのような建物を見るのは新鮮です。なによりあっという間に目的地に着きますし。

それ以上に鉄道の旅がなにかしっくりきます。なぜかなあと考えていました。

長旅の最後に岡山からやくも号に乗って外の景色を眺めながら、それがわかってきたような気がしました。

旅慣れしていないぼくにとっては旅は非日常の世界。新鮮な景色、初めて見る食べ物、いつもと違うベッド、いろんな人との出会い…気持ちが高揚した楽しい時間。でもそれがいつか終わることを知っています。

車窓から眺めるとそこにはたくさんの家々があって、そこには一人ひとりの日常があって、そこで毎日生活をしている人たちがいます。ぼくは列車の窓から非日常世界の傍観者としてそれを見ることができる。

やがて列車は人家まばらな谷を越え、山の中を走っていきます。分水嶺を越えて川の流れる向きが変わると、少しずつ見覚えのある景色が現れます。やがてまた人家が増え、街並みが見えてきます。しかし、今度は傍観者としてではなく、その土地に縛られた生活者としてその景色が見えてくるのです。

非日常から日常へ、その間に感じる寂寥感がたまらないのです。それは寂しく、切なくもあるけれど、だから余計に旅していたことを強烈な記憶として脳裏に焼き付ける、自分なりの儀式なのかもしれません。

飛行機の旅は、突然非日常の世界から現実の世界に戻される気がします。目的地から目的地へ。多くの人にとっては旅は特別なものなのでもないのかもしれません。

でもぼくはそこに感傷を持ち込みます。いつもと違う日々が終わるとき、そこに飛行機よりも長い時間とうつろいゆく車窓からの景色がぴったりくるのです。

旅の終わりは列車で。たまにしか旅に出ないぼくのささやかな望みです。