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第2クール第20日 退院

荷物をまとめる
慣れ親しんだ病室のベッドとお別れの時がやってきました。2月の検査入院から半年以上、実質の入院期間も3ヶ月に及んだ病院生活は今日終わりました。

親しくなった看護師さんたちともお別れかと思えば寂しい気持ちもします。手術直後の全然身動きできない中、身の回りの世話をしてもらい、落ち込んでいる時には寄り添ってもらい、こうして無事退院できるのは、彼女らや彼らのおかげであったとつくづく思います。そこには看護師と患者という立場の違いはあれ、確実に人としての交流が、しかも生き死にに関わる生々しい交流があるのは違いありません。しかし、生別であれ死別であれやがて別れの時がきます。看護師さんはそれが、患者を病院から送り出すのが、仕事なのだと思うと、なかなか切ない職業かもしれません。

午前中最後の回診を受けて、明後日の血液内科の受診に合わせて、泌尿器外来も訪ねて今後の方針などについて話し合うことになりました。これからは定期的に外来を受診して、転移の兆候がないか、尿管のトラブルがないか、注意していくことになると思いますが、それがどれくらいの頻度で受診したり、どういう検査をしていくのかなどはその時に聞いてみようと思います。

退院にあたっての生活制限は一切無く、何を食べても、何をしてもよいそうですが、貧血はあいかわらずなのでとても前のようにはいかないです。貧血については、血液内科でも相談をして、自宅で療養をしながら回復を待ちたいと思います。

今回の長期にわたる入院では、近隣の知り合いの方々のみならず、facebookやtwitter、このブログなどネットワーク上でも数多く励ましの言葉をいただき、ありがとうございました。皆様のおかげで憂鬱を払い、孤独感を感じることなく入院生活を過ごすことができました。心からお礼申し上げます。

もう病気に甘えているわけにはいきません。早期に仕事に復帰するためにも、まずは体力と気力の充実をはかりたいと思います。

第2クール第19日 抗がん剤治療を終えて

今回の抗がん剤治療について、受ける前までは非常に恐れていました。白血病になった十数年前に、抗がん剤治療で苦しむ人達を多く見てきたトラウマがあったのです。しかし、実際に自分がそれを受けることになり、予定の2クールを終えた今、それほど恐れることはなかったというのが感想です。

まず第一に、副作用の一つである食欲不振が、想像ほどひどいものではありませんでした。確かにものを食べられなくなる症状はありましたが、実際に嘔吐するまでには至らなかったし、なにもかも受け付けない期間はほんのわずかしかありませんでした。優れた制吐剤が開発され、吐き気のコントロールは、この十年の間にたいへん進歩したそうですが、その恩恵にうまくあずかることができました。

第二に、確実にあるだろうと思われていた脱毛がぼくにはあらわれませんでした。2クール終わった今も頭髪はありますし、抜け毛が極端に増えた兆候はありません。たかだか脱毛とは申せ、外見の変化は想像以上に精神的ダメージを食らうものです。以前にインターフェロンの副作用で髪の毛が抜けたときは、まだ若かったこともあって人生が終わったかのような気持ちになりました。今回はある程度覚悟していたのですが、それがなかったので気持ちの動揺がなく毎日を過ごせたのは間違いありません。

しかし、骨髄抑制による貧血の進行は意外とあなどれませんでした。もともと長年にわたって白血病治療を行なってきたせいか、骨髄抑制が進んでおり、特に赤血球は平時でも基準値以下だったのですが、そこに抗がん剤が入ることで、全血にわたり骨髄抑制が進行したのです。白血球が2千を切ったり、血小板が5万を切るなど、要注意水準まで下降したこともありましたが、それらは時間の経過とともに回復し、心配な期間は短くて済みました。しかし、赤血球の減少だけは今もなお持続し、基準値下限の6割ほどと、かなり低い水準まで落ち込んだままです。その結果、少し動いただけで息切れするなど身体の倦怠感が抜けず、今後の日常生活の懸念材料になっています。

この貧血については、もう少し様子を見て血液内科の先生とも相談しながら対処を考えることになろうと思いますが、回復には時間がかかるかもしれません。しばらくは、家に帰っても休み休み生活をすることになりそうです。

副作用という点では、以上のように骨髄抑制を除いては想像よりも軽微であったと言えます。ただ今回の抗がん剤治療は、転移した腫瘍があるわけでもなく、あくまで予防措置としての治療だったので、効果測定ということがありませんでした。ある意味では腫瘍に効果があったかどうか心配する必要もなく、副作用だけに注意しておけばよいというという安楽さがあったのですが、効いているのかどうなのかわからないというのも、何かもやもやしたものが心に残る毎日でもありました。

考えようによっては、ただ身体をいじめて、いたずらに社会復帰を遅くしてしまったということもできます。また、前々から感じたように病院にいることが日常になりかけて、社会復帰を恐れる気持ちにつながったようにも思います。これが例えば、すでに転移があって化学療法に賭ける日々ならば、かなり緊張感のある毎日となったはずですが、そのようなことがないだけに、状況に甘えた日々ではなかったかと反省しています。一方で、このモラトリアムの期間は、人生を見つめなおすいい機会でもありました。普段これといった信仰をもたないぼくにとっては、病や事故など非日常世界に放り込まれて、ようやく自分の生き方を見つめなおすことができたのです。そこでぼくは何かしら自分の生き方について考え得ることができたように思います。そして、これから残された人生のうちに、それを実践していきたいと思います。

明日は、いよいよ退院をします。いずれまた振り返るときもあろうけれど、明日からは前を向いて生きなければなりません。

第2クール第18日 最終血液検査

「血液検査では特に問題はありません。血小板も回復傾向になりましたので、予定通り退院していただけます」と主治医の先生は言います。ペーパーを見ると確かに血小板は増えてました。5万5千が7万に。けれどもこれは基準値の半分。白血球も3.3と基準値を下回り、赤血球も2.39と最低記録を更新してます。どうにも手当のしようがないのでしかたないのですが、身体の怠いことはなかなか回復しません。

なので、週末はやはり病院で過ごすことにさせてもらい、先日決めた予定通り月曜日に退院することにしました。午前中に子どもたちがやってきて、長男は「誰も相手してくれんけん、つまらんわ」と愚痴っていたので、明日にでも帰ってやろうかとも思いましたが、いやいやこの身体では帰ったところで子どもの相手ができるわけでもないので、今日明日の二日は、精々身体を休めておきたいと思います。

それにね、今日明日は花火大会。病室から眺めるなんてめったにできません。なかなかここからの眺めもきれいでしたよ。

でも、やっぱり宍道湖岸でみるほうがいいかな。

第2クール第17日 外出

珈琲館のコーヒー
今朝は昨日に比べてだいぶ体調も良くなってきたように思いました。身体の怠さもだいぶ消えて、朝食もきちんととることができました。午前中の回診では、明日もう一度採血をして、血液の状態によって退院の可否を決めることになります。

体調が良かったこともあり、午後から外出しても良いかどうか尋ねると、熱が出ていなければ大丈夫と許可がでたので、昼ごはんをそこそこ食べたことにして、私服に着替えて外に出ました。

橋向こうにあるイオンに行く用事があったので、強気を出して歩けるところまで行ってみようかと歩きはじめたのですが、すぐにそれは無謀なことだと悟り、病院に戻ってタクシーを拾って行きました。イオンは平日なのにえらい混み様でどうしたことかと思いましたが、なるほど夏休みだったですね。用事を済ませてWi-Fiスポットで溜め込んでいたiPhoneアプリのアップデートも済ませて、帰りは500m歩いて駅まで行って、それからバスに乗りました。駅から病院の近くのバス停までは停留所わずか4つ分なのですが、その距離がなかなか歩けないものです。

まだ外出してから1時間ちょっとしか経っていませんでした。このまま帰るのもつまらないので、近くの喫茶店に入りました。そこもなかなか席が埋まっていて、どうしてこんなに混んでいるのかと思いましたが、ああ夏休みかと思い起こしました。コーヒー飲みながら、自分だけ季節から取り残されたような気もしないでもありません。世の中と時間のズレが出てきたのかなあなどと思ってしまいました。

喫茶店を出て仰げば病院の白い建物が見えます。そこの一番上の階の自分がいる病室がすぐわかりました。なぜって午後の日を浴びても、そこだけカーテンが開いているのですもの。そうしていつもはそこから、この喫茶店を眺めているのでした。窓際に立っていたら、結構目立っていたかなあなどと今更ながら思いました。

結局四時までの外出予定でしたが、一時間くらい繰り上げて病院に帰りました。ほとほと疲れてしまったのです。身体を動かすことはできましたが、まだ順序をわきまえて少しずつ慣れていかなければいけないことがよくわかりました。こんなことで、本当に退院できるのかいな…。

第2クール第16日 退院は週明けに

未明の激しい雨で目が覚め、多少咳き込みもしたのでマスクを着用しました。血液の状態によっては、感染症を引き起こすかもしれないからです。身体がえらくだるいので、血液の状態もあまりよくないだろうと思いました。

けれども今朝の血液検査の結果では、白血球は6.4と平常値で、感染症の心配はありませんでした。一方で、赤血球は2.53と相変わらず低く、基準値下限の6割ほどしかありません。身体がしんどいのは、ひとえに赤血球不足の貧血によるもののようです。また、血小板にいたっては5万5千と、注意すべき5万に近づいてきました。そのため、もうしばらく入院し、週末に再度血液検査をして、回復に向かうことを確認してから退院をすることにしました。

今回は白血球の値が下がらなかったので、実は早々に退院してもよかったのです。赤血球と血小板を回復するためには、輸血しか方法がありません。しかし、輸血は後々の血液感染リスクなどもあり、余程のことでない限りは行いません。どのみち骨髄抑制は時間が経てば回復していくからです。同じ日にち薬なら、病院で過ごしても家で過ごしても同じではあるのです。

ですが、やはり病院で週末を過ごすことにしました。家で安静といっても、病院と同じようにはゆっくり過ごすことはできないでしょう。もう少し病院にいて、気持ちの整理をつけ、週末の子どもたちの喧騒をやりすごしてから家に帰ろうと思います。

これで週末にある水郷祭の花火大会は病室から眺めることになりました。西向きの窓は宍道湖に向かっているので、ある意味特等席からの観覧です。まさか実現するとは思いませんでしたが。

第2クール第15日 ジェムザール3回目

最後の点滴
ジェムザールのあとの生理食塩水の点滴、その最後の一滴が落ちた時「ああこれで終わったんだ」とあらためて思いました。今日予定されていた点滴が終わった、というだけでなく、これで2クールにわたって続けてきた抗がん剤治療のプロセスも終わったのです。そして、ひいては今年の初めから行なってきた、膀胱がんについての治療がこれで一区切りしたのでした。もう手術もなければ抗がん剤治療もありません。あとは副作用である骨髄抑制がどれくらい進むか血液検査をしながら確かめていきますが、副作用はいずれ終息するのですから、退院は時間の問題です。

けれども「終わったんだ」と呟きながら、それは終わったことを自分になんとか納得させようとしている上辺だけの言葉であることに気づきます。終わりの時は確実に近づいているのに、いまだ自分の気持を整理することがなかなかできていないのです。

病室から差しこむこの真夏の日差しを浴びれば、まだ冬の只中に検査入院したのは確かにもう半年近く昔のことだとわかるのですが、その記憶の鮮明さはつい先日のできごとのようにも思えます。そして、4月に膀胱という大切な臓器を取り除き、代用膀胱をとりつける手術をして、肉体的な機能はそれ以前の自分とは全く別のものになってしまったのに、自分の意識が連続していることに違和感を感じることもあります。半年の間に劇的に変化したこの運命というものについて考えだすと、とたんに混乱してしまう自分がいます。

他にできることはなかったのか。この治療の選択は正しかったのか。失ったもの、得たもの。安堵。不安。寂しさ。本当はここで決着をつけるべき心の問題に、未だ囚われている自分の未熟さを、ただ呆然と眺めているような状態です。

ぼくが今やるべきこと、それはこの間違いない事実、「これで一連の治療は終わった」ということを納得するということです。5年生存率がフィフティ・フィフティだとしても、もうやるべきことはやったのであり、病気のことはひとまずおいて、次のステップに向けて気持ちを切り替えるようにしなければいけないのだと思います。頭ではわかっているのです。ただ気持ちを切り替える自信がない。

こういう時は考えるよりも行動することで解決できることがあります。何か運動でも始めれば全然違ってくるのでしょう。退院したらきっとまた体を動かすこと、それはウオーキングでもサイクリングでもいいので、始めようと思います。もっとも、貧血の今は歩くだけでも深呼吸をして息を整えているような状態ではあるのですが…。

第2クール第14日 この入院中に読んだ本

病院で何をすることもないときは、ひたすら読書するに限ります。ここまで長く入院することになるとは思いませんでしたが、2月の入院前にKindle Paperwhite
を買い、大いに活用できているのは、ぼくにしては珍しく良い買い物をしたように思います。ぼくのKindleには、今50冊くらいの本が入っていて、つまり入院してから50冊くらい読んできたことになります。近年は書店に行っても、なかなか紙の本を買うことも少なかったのですが、Amazonでは結構本を買ってしまっていて自分でも少々驚いています。

入院中でもインターネットに繋いだ時にはAmazonに立ち寄ってはKindle本のコーナーを見ています。品揃えはまだまだ感がありますが、まだ読んでいない有名所が電子書籍になっていたりすると、値段も割安だったりしてついついポチってしまうんですよね。そうすると、あっという間に手元のKndleに本が転送されて読めるようになっているのです。

この入院ではぜひとも読みたいと思って吉川英治三国志を買いました。ぼくが買ったのはお馴染みの講談社版で、文庫本にして8冊分が合本になって950円。安いこともあるし、それだけの本があっさりKindleの中に入って読めるのです。今回入院してから読み始めましたが、あっという間に読み終えました。吉川英治はちょうど著作権が切れたので、今後続々と青空文庫などにも収録されていくでしょう。長編も多いので楽しみでもあります。

あとは近藤史恵サクリファイスも前々から読みたいと思っていたのをセールで買ったのですが、面白かった。自転車ロードレースのあの独特の駆け引き、エースとアシストの役割分担など素人目にはなかなかわかりにくいものですが、そこらへんは丁寧に書いてあって、わかりやすいです。エースである石尾のあまりのストイックさに、そんなことあるわけないだろうと思いつつも、読後は爽やかなものが残りました。

クリストファー・マクドゥーガルBORN TO RUNも紙の本に比べると圧倒的に安いので買っちゃいました。著者がランニングをするとなぜ故障するのかということを出発点として、伝説の走る民族タラウマラ族にたどり着き、彼らと著者をつなぐ「白馬」と呼ばれる男との出会いや彼らとの感動的なレースを書いたものですが、途中で人間は走るために進化してきたことや、最高のランニングシューズが故障を引き起こす最大の原因であることなどを解き明かしていきます。ぼくが今こういう状態だからか、文中のとある博士の弁が印象に残りました。

西洋における主な死因−−心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、十数種類の癌−−のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。医学もなかったが、ひとつ特効薬があった−−(略)「ごく単純なことです」と博士は言った。「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」

とてもウルトラマラソンには挑戦できないけれども、退院したらまた身体を動かすことをはじめたいと思いました。