タグ別アーカイブ: クラシック

山陰フィルジュニアオーケストラ演奏会

プラバホール
昨日、プラバホールで行われた山陰フィルジュニアオーケストラのコンサートに行ってきました。まだ体調も万全ではないですが、Twitterの友達が出演すると前から聞いていたし、昨年は行けなかったので、今年はぜひ行ってみたかったのです。

もっとも友達の演奏するところを見てみようというだけのことで、音楽をぜひ聴こうという気持ちではありませんでした。なんといっても山陰フィルジュニアオーケストラは小学生からメンバーになるようなアマチュア楽団だし、ピアノの発表会程度だろうと思っていました。観客も子どもたちや家族連れが多く、おおかた友達やわが子の演奏を見に来た方々に違いありません。

ところが最初の音が響き渡るやぼくは背筋を伸ばしました。出だしの弦楽器の響きが予想以上に豊かでびっくりしたのです。それは何年かぶりに生のオーケストラコンサートに触れたせいかもしれません。今やCDすらほとんど聴くこともなくなり、PCに入った圧縮された音に慣れきっていた耳には、立派なホールで本物の楽器が重なりあって奏でる音の響きが、とても重厚で新鮮なものに感じられたのです。

もちろん、メンバーの皆さんの努力もあったからこそ、この響きが出てきたのだと思います。オーケストラ全体としては、演奏に余裕がないところがあったり、ちょっと管楽器が自己主張しすぎなところがあったりして、バランスが崩れるところもあったけれど、そんなことは本当に細かいことです。子どもから大人まで、演奏者の皆さんの顔が輝いていたのが印象的でした。これまでの練習の成果がこんな音になって出てくるのだったら、どんなに演奏して気持ちいいだろうと思いました。

いったいにぼくは感激屋なのですが、このコンサートでは久しぶりの生の音楽の響きに本当に感激しました。演奏を聴きにきて素直に良かったと思ったし、大げさではなく生きてて良かったなあと思いました。退院してからこの方、思うように身体も動かず仕事も家事もままならず、憂鬱な日を過ごしていたけれど、元気になればまたこうした感動にも出会えるのだから、くさらず元気になろうと思い直しました。そうしてまたこうした生の音を聴きに来ようと思いました。

車を遠くに止めたので、歩いての帰り道はとても大変で足が棒のようになりましたが、いままでのように息切れをすることがだいぶ少なくなったように思います。アマチュア楽団の演奏とたかをくくっていて申し訳ない、元気をいただいたことを感謝したいです。

クラシック音楽との出会い

小学生の頃から音楽が苦手でした。中学入試のための模擬テストで音楽が全問不正解だったこともあります。さすがに音楽の先生からあきれられ、名前だけ書いてあったので1点だけもらったことがあります。

からっきしの知識だったぼくは、あるときからクラシック音楽にのめり込みました。

それはまだ大学生の頃、なけなしのお金をはたいて中古のPC9801Uを買いました。3.5インチのFDD搭載ということでなかなか時代を読んでいた機械だったわけですが、当時は5インチのFDが主流で98シリーズしては安価だったんですよね。動かないソフトも多かったですが。

何を思ったかこのコンピュータは音が鳴らせるということで、さっそくそれ用のソフトを買って、音符を打ち込むわけです。FM音源で最大6和音だったか3和音だったかしか出せなかったのですが、それまでビープ音しか出せなかったコンピュータとは大違いの音の広がりが楽しめます。それで音符を打ち込んだヴィヴァルディの四季。それぞれの楽器が主題を持って演奏していることに初めて気づいて感嘆しました。それがクラシック音楽との出会いでした。

当時はLPからCDに主流が変わる時代。LPではそれなりの演奏装置が必要だったのが、CDならば超高音質をプレイヤー一台で聴けるというわけで、安価な、といっても当時5万円くらいしたCDプレイヤーを買い、CBSソニーから出ていたユージン・オーマンディ指揮アイザック・スターンバイオリンのやつを買って、ヘッドフォンで何度も聴いたもんです。

ぼくはそれから狂ったようにクラシックCDを集め始めました。レコ芸とかいう雑誌を買って、当てにもならぬCD評をみながらあれが聴きたいこれが聴きたいと。金もないくせに、食べるものを惜しんでもCDを買いました。当時池袋のWAVEは確かビルがまるまるCDショップで、毎日のように通ってました。国内盤が3千円とかしていたその頃、外盤だと千円程度で買え、好んで外盤を買いました。バロックから近代まで有名処の曲はほとんど買ったように思います。本当にあの当時はどうかしていたとしか思えません。

ダメ学生でした。たいして学校にも行かず、日中もぼんやりとCDを聴きながらひたすらぼろアパートに引きこもっていました。

とてもよく晴れた穏やかな日に、アパートの窓を開けると、忙しそうに出かける人々がいて、自分のふがいなさ、屈辱感の背後で流れていたマーラーの4番。最終楽章の天使のようなソプラノに涙したことは今でも思い出します。

クラシック音楽はぼくにとって、都会の孤独を癒すたったひとつのよすがだったように思います。

あれからもう20年以上が経ち、いつの間にかCDの収集熱は冷めてしまいました。あの当時買ったCDはコンピュータの中に入れてありますが最近あまり聴かないなあ。ほとんどが80年代以前の録音で、当時積極的にデジタル化していたグラモフォンレーベルが幅を効かせています。演奏家はカラヤン、ベーム、バーンスタイン、ゼルキン、グールド…。偏ってますね。

ラジオなどで耳に覚えのある旋律が流れると、あの当時を懐かしく、ちょっぴりほろ苦く思い出します。