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CT検査と耳鼻科を受診する

今日は外来診察日でした。CT検査を行う予定になっていたので、絶食で臨みます。早いものでもう4月の手術から半年が経ったのでした。

手術後、半年に一度の割合でCT検査を受けることになっています。このCT検査によって、転移があるかどうか、腎臓から代用膀胱に至るまで異常がないかどうかを調べることになります。検査自体はほんの数分のこと、すぐ終わります。しかしその数分で後々の命運が定まるとは、なんとも言いようがない虚しさを感じないわけにはいきません。もしここで転移でも発覚すれば、かなり際どい状況に追い込まれるのです。それは、自分ではどうすることもできないのですが、検査に向かうのはなかなか気が重いものでした。

最初に件のCT検査や血液検査を行った後に、血液内科の診察を受けましたが、今日の血液検査ではCRPという炎症反応の数値がかなり高くなっており、そのことについて指摘を受けました。

実は二日前の月曜日の未明に、嘔吐と下痢とがあって、引き続き高熱を発し一日寝込んでいました。熱は幸い一日で引きましたが、その影響がまだ血液検査の数値として残っていたわけです。その前の日は子供達と一緒にかなり無理をして外で過ごしていました。その疲れが内臓に出たのでしょう。まだ、あまり無理はできない身体なのだからと主治医に叱られ、吐き気止めと整腸剤とを新たに処方されました。

その他の血液成分は、先月とほとんど変わることがなく、遺伝子異常も検出限界以下で、白血病については引き続き心配ありませんでした。

次に受けた泌尿器科でCT画像を診断してもらったところ、現状では転移の兆候もなく、尿管や代用膀胱の状態も良いとのことでした。先月まではいびつな形をしていた膀胱も今日のCT画像では球形になっていました。

この膀胱がん由来の転移があるとすれば5年以内と言われています。半年に一度受けるCT検査、都合10回のうち最初の一回目を無事パスしたことになります。ぼくの場合5年生存率は約50%。毎回丁半博打をやるようなものです。次のCT検査は来年の4月。そのたびにこのような重たい気持ちで検査を受けるのかと思うと暗澹としますが、こればかりは運を天に任せて粛々と検査を受けなければならないのでしょう。

ところで今回は耳鼻科にもかかりました。というのも先月ふとベッドに横になっていると、右耳で明瞭に聞こえる秋の虫たちの鳴き声が左耳では聞き取りにくいことを発見したのでした。ひょっとしたら、抗がん剤による副作用が現れたのかと思い、主治医に申告したところ、耳鼻科を紹介されたのでした。

しかしこれは副作用ではなく、もともとあった症状をたまたま再認識しただけだったようです。実は6年前にも頭痛で聴力検査を受けた資料が残っていて、その時も左耳の4000Hz付近の音だけが聞こえにくい状況だったのでした(それより高周波の8000Hzでの聴覚はよいのです)。調べてみると鈴虫の鳴き声が4000Hz、コオロギの鳴き声は5000Hzですから、虫の音だけが聞こえないのは道理なのです。ただ、今回受けた聴力検査の結果は6年前とほぼ同一と言っていい記録だったので、抗がん剤による影響はなかったと結論づけられました。

こちらは騒音性難聴で、もはや治療のしようもなく、また実用上は不便でもないので、これ以上の受診は行わないことにしました。

今日は一日三科を受診し、多くの検査も行ったので、会計を済ませたら昼をまわっていました。月曜日からまともな食事をしていないので、さすがに空腹を覚えましたが、腹具合も今ひとつで外食するのもどうかと思い、あれこれ悩むうちに家に帰ってしまい、結局疲れて午後は休んでおりました。

歩くことにしてます

古墳公園

昨日の午後はさあっと雨が降って、それから急に涼しくなりました。今日はいい天気になったのですが、日があたっていても以前のような暑さを感じない一日でした。

このところ天気のいい日は、少しずつ歩くようにしています。今日も午前中の陽射しの中、帽子をかぶって、家から800メートルほど離れたところにあるスーパーへ歩いていき、銀行のATMで入金したり振り込みをしてきました。銀行仕事は毎日あるので、このコースを歩くことが多いです。

何しろ今年は2月から入退院を繰り返してここまできてしまったので、すっかり筋力が衰えてしまいました。これまでは、抗がん剤による貧血の進行もあったので、無理に身体を動かすこともできませんでしたが、先日の外来で血液がもとに戻ったので、いよいよ筋肉をつけて体力を回復しなければなりません。やはり基本は歩くことかなと思います。

本来ウォーキングというのは、大股で腕を大きく振って歩くのが基本でしょうが、僕の場合はほんとに散歩のようなものです。スーパーまでのタイムを測ると12分、かっきり時速4キロ。かなり遅いです。買い物袋を下げた妊婦さんに抜かれるくらい遅いです。

それでも一生懸命歩いているつもりではあります。歩き始めた頃は息があがっていましたが、最近それはなくなりました。ただスーパーに着く頃にはだいぶ足に疲労を覚えます。

近くに古墳公園があって、そこのベンチで休憩するのがお決まりのコースになりました。でも一度休憩すると、足が疲れているので、次に立ち上がるのがしんどいです。そこから、きた道を帰ることができる日もあれば、ちょっと無理だなと思う日もあり、そんな時は嫁さんに車で迎えに来てもらいます。

どっちにしても散歩から帰った日は、昼ごはんを食べて、午後は休みます。休まないと身体がもたないのです。

今は往復2キロ歩くのが精一杯。体調が悪いと半分しか歩けない。なかなか自分でも情けないなと思います。それでも腐ることなく、これからも歩こうと思っています。足に疲れを感じるということは、筋肉がついてくることの裏返しでもあります。歩かなければ、衰えるばかりです。ちょっとずつ歩く距離を延ばして、速く歩けるようになって、運動らしい運動にしてみたいものです。

老いるとは、できなくなったことを受け入れること

夜は子どもと一緒に午後9時ころには寝てしまいます。しかし、必ず日が変わる頃に起きだして、トイレにいかねばなりません。なぜなら3時間から4時間で新しく作った膀胱が満量になり、この時間をこえると尿漏れしてしまうからです。

日中ならば、こうなる前にトイレにも行けるし、腹圧のコントロールもできるので漏れるようなことはほとんどありませんが、就寝中は意識がないので、一定量をこえるとどうしても尿漏れしてしまいます。だから夜間は大人用オムツを履いて寝ています。オムツを履いていれば、外に漏れることはあまりなく、いわゆるおねしょはしません。けれども、オムツを履いていようがいまいが、排尿してしまった気持ち悪さは感じるので、そこで目が覚めてしまいます。また、その気持ち悪さが頭に染み付いてしまったのか、尿漏れしなくても自然と3〜4時間に一度は目が覚めるようになりました。

考えてみると5月に尿管カテーテルが外れて以来、ずっとこのような生活パターンが続いています。もう、朝まで熟睡するということがなくなってしまいました。朝まで熟睡するには、尿漏れをしても眠り続けるくらいに太い神経が必要かもしれませんが、ぼくにはどうやら無理のようです。

深夜にトイレに起きてから、しばらくなかなか寝付かれず、ぼんやりと来し方行く末を思ってため息が出ます。

一年前にはできていたことが、今やもうできなくなってしまった、ということがいろいろとあります。そのできなくなったことを受け入れざるをえないことこそ、老いというものではないかとふと思いました。

熟睡することも、そのひとつ。8時間も9時間も連続して眠ることができなくなった、その事実を受け入れることで、自分の中でひとつの時代が終わったように感じるのです。その時、かつて当たり前のようにできていたことは、自分の頭のなかに思い出となって封じ込められてしまいます。

ぼくは、手術によって、リンパ節から前立腺までかなりの部分を切除したため、生殖機能を失いました。すでにそれが必要な年代、というわけでもないのですが、事実として受け入れなければならなかったときに、生物としての存在価値がなくなったように思えて愕然としたものです。これも受け入れなければいけない老いのひとつといえるでしょう。

一方、体力がなくて、少し歩いただけでたいへん疲れていること、これにはまだぼくは抵抗をしています。トレーニングをしていけば、やがて体力が回復すると信じています。今はできなくても、それを受け入れず、将来に向かうことができるとき、そこに老いを感じません。しかし、いくらトレーニングをしても希望する体力まで戻らず、その事実を受け入れなければいけない時、またひとつ老いていくのだろうと思います。

受け入れる老いと受け入れられない老い。そのせめぎあいを、これからぼくはしていくことになるのでしょう。時とともにひとつひとつ失うことが増えて、老いていくのでしょう。そして、老いていけば、失った数だけ、思い出の数だけが増えていくのでしょう。

外来診察日 貧血は改善しました

4週間ぶりに血液内科と泌尿器科の外来診察を受けてきました。退院してからほぼひと月。以前に比べて身体はだいぶ楽になってきましたが、血液検査を行った実際の数値で貧血が改善してくれているかどうか、それが知りたいものです。

結果、血液状態はだいぶよくなってました。白血球も血小板も基準値の間におさまりましたし、赤血球も基準値の4.27にはとどきませんが3.58(×10^6/ul)になり、ヘモグロビンも11.5(g/dl)と3ヶ月ぶりに10gを超えました。もともと赤血球は基準値より低かったので、だいたい入院前の水準まで戻ったことになります。抗がん剤の副作用はこれで終結したのでしょう。

血液の状態が良くなったので、2ヶ月間中断していた白血病治療薬のグリベックを今日からまた再開することになりました。今月も検査していますが、先月の末梢血PCR法での検査では遺伝子異常が検出限界以下になっていて、中断の影響はありませんでした。それならグリベックをやめてもいいのではないかと思いますが、なかなかそういうわけにはいかないようです。グリベックは高い薬なので、また高額療養費制度のお世話にならなければなりません。

ただ状態がいいので、今後診察の頻度を減らしていこうということになりました。こうすることによって、一回の医療費は高額になるのですが、高額療養費のおかげで一定額までの支払いで済み、個人負担額を減らすことができます。泌尿器科は安定してくれば3ヶ月に一度の診察でいいとのことなので、それにあわせて調整していくことにしました。

血液内科のあとに受けた泌尿器科では、エコー検査を行い、特に腎臓に腫れなどもなく順調に回復しているとの診断を受けました。また、手術をしてから半年になるので、来月CT検査を受けることにしました。これからはCT検査を半年に一回程度の割合で受けて、がんの転移がないかを調べることになります。なんといっても最初の5年間がヤマなので、半年ごとに良い結果を祈りながら10回検査を受け切れば万々歳ということでしょう。

今日の受診では、血液の状態が回復したのを実際の数値で確かめられたのが良かったです。

今まで酸素不足で倒れてもいけないからと運動を控えていましたが、これからは少しずつ運動して筋肉をつけていこうと思います。まずは近所を散歩がてら歩くことかな。そのうちにまた自転車に乗ったり、プールに泳ぎに行ったりしたいものです。体力がつけば、またがんだって遠ざけることもできるのではないかと思います。

外来診察

月曜日に退院したばかりですが、今日は血液内科の外来診察が予定されていたので、病院を受診しました。昨日から体の怠さが極まってちょっと歩行するにも息をついておりましたので、今朝の血液検査の結果はあまりよくないだろうと予想をしておりましたが、はたして予想の通りあまり回復に向かってはいませんでした。

全血にわたり基準値よりもかなり低いので、中止していたグリベックの投与再開はもうひと月ほど見送ることになりました。赤血球がなかなか回復していかない状況について聞いてみると、赤血球は血液としての寿命も長いので、落ちるのもゆっくりだが回復もまたゆっくりであると説明を受けました。現在は8gしかないヘモグロビンも来月には9g程度には回復しているんじゃないかという主治医の見立てです。血液内科の先生だけあって、今のレベルでは歩くのもしんどいでしょうと理解はしてくれましたが、この分ではなかなか普通の生活に戻れそうにありません。

続いて泌尿器科を受診しました。受診といっても今後の方針を話し合うだけです。悪いシナリオを想定して、その場合どうするべきかを考えて置く必要はあります。悪いシナリオというのは、代用膀胱のトラブルと、がんの転移再発の二つが考えられます。

代用膀胱のトラブルは、ぼくが入院している間も、何人かの患者さんが救急でやってきてそのまま入院される様子を見てきたので、割と頻度は高そうに思います。何しろ膀胱を構成しているのが腸管なので、内壁の剥離が常にあり、それが尿の中でドロっとしたかたまりとなって排出されるわけですが、詰まって尿がでないなどのトラブルに気をつけておかなければなりません。水を多くとり、排尿回数を多くすればそれだけ薄まるのですが、一方で水分を多く取ればそれだけ尿漏れの頻度もあがるので痛し痒しのところではあります。

がんの転移は、あるとすればリンパ節とか切除した膀胱周辺の臓器に行くことが多いようです。こればかりはCTなどによって視認する所でしかわからないようで、基本的には半年に一度程度CT検査を受けて転移がないか精査するということでした。転移があれば、放射線か今回のような化学療法が選択肢となるようです。早期に発見しなければ、それらの治療はあまり効かないでしょう。こればかりは、運かもしれません。

いずれにせよ来月も受診して体の状態を見た上で、10月ころにCTを撮り、それから3ヶ月程度の頻度で外来診察を行うことになりました。

血液検査があるので朝ごはんを抜いて受診して会計を終わったらもうお昼でしたが、何しろ頭がぼんやりするので、家に帰ってそのまま倒れるように寝てました。焦りは禁物かもしれませんが、思うように動かない身体が恨めしいものです。

第2クール第20日 退院

荷物をまとめる
慣れ親しんだ病室のベッドとお別れの時がやってきました。2月の検査入院から半年以上、実質の入院期間も3ヶ月に及んだ病院生活は今日終わりました。

親しくなった看護師さんたちともお別れかと思えば寂しい気持ちもします。手術直後の全然身動きできない中、身の回りの世話をしてもらい、落ち込んでいる時には寄り添ってもらい、こうして無事退院できるのは、彼女らや彼らのおかげであったとつくづく思います。そこには看護師と患者という立場の違いはあれ、確実に人としての交流が、しかも生き死にに関わる生々しい交流があるのは違いありません。しかし、生別であれ死別であれやがて別れの時がきます。看護師さんはそれが、患者を病院から送り出すのが、仕事なのだと思うと、なかなか切ない職業かもしれません。

午前中最後の回診を受けて、明後日の血液内科の受診に合わせて、泌尿器外来も訪ねて今後の方針などについて話し合うことになりました。これからは定期的に外来を受診して、転移の兆候がないか、尿管のトラブルがないか、注意していくことになると思いますが、それがどれくらいの頻度で受診したり、どういう検査をしていくのかなどはその時に聞いてみようと思います。

退院にあたっての生活制限は一切無く、何を食べても、何をしてもよいそうですが、貧血はあいかわらずなのでとても前のようにはいかないです。貧血については、血液内科でも相談をして、自宅で療養をしながら回復を待ちたいと思います。

今回の長期にわたる入院では、近隣の知り合いの方々のみならず、facebookやtwitter、このブログなどネットワーク上でも数多く励ましの言葉をいただき、ありがとうございました。皆様のおかげで憂鬱を払い、孤独感を感じることなく入院生活を過ごすことができました。心からお礼申し上げます。

もう病気に甘えているわけにはいきません。早期に仕事に復帰するためにも、まずは体力と気力の充実をはかりたいと思います。

第2クール第19日 抗がん剤治療を終えて

今回の抗がん剤治療について、受ける前までは非常に恐れていました。白血病になった十数年前に、抗がん剤治療で苦しむ人達を多く見てきたトラウマがあったのです。しかし、実際に自分がそれを受けることになり、予定の2クールを終えた今、それほど恐れることはなかったというのが感想です。

まず第一に、副作用の一つである食欲不振が、想像ほどひどいものではありませんでした。確かにものを食べられなくなる症状はありましたが、実際に嘔吐するまでには至らなかったし、なにもかも受け付けない期間はほんのわずかしかありませんでした。優れた制吐剤が開発され、吐き気のコントロールは、この十年の間にたいへん進歩したそうですが、その恩恵にうまくあずかることができました。

第二に、確実にあるだろうと思われていた脱毛がぼくにはあらわれませんでした。2クール終わった今も頭髪はありますし、抜け毛が極端に増えた兆候はありません。たかだか脱毛とは申せ、外見の変化は想像以上に精神的ダメージを食らうものです。以前にインターフェロンの副作用で髪の毛が抜けたときは、まだ若かったこともあって人生が終わったかのような気持ちになりました。今回はある程度覚悟していたのですが、それがなかったので気持ちの動揺がなく毎日を過ごせたのは間違いありません。

しかし、骨髄抑制による貧血の進行は意外とあなどれませんでした。もともと長年にわたって白血病治療を行なってきたせいか、骨髄抑制が進んでおり、特に赤血球は平時でも基準値以下だったのですが、そこに抗がん剤が入ることで、全血にわたり骨髄抑制が進行したのです。白血球が2千を切ったり、血小板が5万を切るなど、要注意水準まで下降したこともありましたが、それらは時間の経過とともに回復し、心配な期間は短くて済みました。しかし、赤血球の減少だけは今もなお持続し、基準値下限の6割ほどと、かなり低い水準まで落ち込んだままです。その結果、少し動いただけで息切れするなど身体の倦怠感が抜けず、今後の日常生活の懸念材料になっています。

この貧血については、もう少し様子を見て血液内科の先生とも相談しながら対処を考えることになろうと思いますが、回復には時間がかかるかもしれません。しばらくは、家に帰っても休み休み生活をすることになりそうです。

副作用という点では、以上のように骨髄抑制を除いては想像よりも軽微であったと言えます。ただ今回の抗がん剤治療は、転移した腫瘍があるわけでもなく、あくまで予防措置としての治療だったので、効果測定ということがありませんでした。ある意味では腫瘍に効果があったかどうか心配する必要もなく、副作用だけに注意しておけばよいというという安楽さがあったのですが、効いているのかどうなのかわからないというのも、何かもやもやしたものが心に残る毎日でもありました。

考えようによっては、ただ身体をいじめて、いたずらに社会復帰を遅くしてしまったということもできます。また、前々から感じたように病院にいることが日常になりかけて、社会復帰を恐れる気持ちにつながったようにも思います。これが例えば、すでに転移があって化学療法に賭ける日々ならば、かなり緊張感のある毎日となったはずですが、そのようなことがないだけに、状況に甘えた日々ではなかったかと反省しています。一方で、このモラトリアムの期間は、人生を見つめなおすいい機会でもありました。普段これといった信仰をもたないぼくにとっては、病や事故など非日常世界に放り込まれて、ようやく自分の生き方を見つめなおすことができたのです。そこでぼくは何かしら自分の生き方について考え得ることができたように思います。そして、これから残された人生のうちに、それを実践していきたいと思います。

明日は、いよいよ退院をします。いずれまた振り返るときもあろうけれど、明日からは前を向いて生きなければなりません。