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ミライがいなくなった

12月10日のお昼ころに飼い猫のミライが失踪し、一週間が経過してしまいました。その時のことを思い出すと、返す返すも残念で本当にかわいそうなことをしてしまいました。

この一週間、近所の捜索やビラ配り、警察、保健所等への届けをするなど、できる範囲のことをしてきたのですが、未だ見つかっていません。

いなくなったヤブの中に、ダンボールの箱を置いて、中に使っていた毛布とか食べていた餌とか入れてみましたが、この二日間ほどは動物が入った形跡もありません。

失踪したのが家の前であるので、いつかひょっこり帰ってこないかと希望は持っていますが、これだけ時間が経過すると、もう近くにはいないのではないかとも思います。

いなくなってからというもの、家族の中でめっきり会話が少なくなってしまいました。

「今日は寒いね」といえば、きっと寒い思いをしているのではないかと思い、「ご飯がおいしいね」といえば、ひもじくないだろうかと思います。何かを喋るごとに、いなくなったミライに思いをはせてしまうので、言葉も自然と少なくなってしまうのです。

せめて元気にしておってほしいと思いますが、やはり帰ってきてもらいたいなとも思います。

ごく狭い範囲のことでここで書くのもはばかられるのですが、何かしら情報がありましたら、お知らせいただきたいと思います。また、このたびはFacebook等でたくさんの方にご心配や、はげましをいただき、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

ミライ全身
ミライ近影

特徴:
– メス、生後半年(やや小さめに見えると思います)
– 濃い茶色または鳶色(やや赤みがかった茶色)
– 失踪時は「ミライ」と名が入った銅板の迷子札のついた鈴付き首輪をしていました

いなくなった場所:

人生の儚さについて

この数年、見知った人が病を得て鬼籍に入るのを次々と目の当たりにし、人生の儚さを感じます。

ぼくは若いときから病気持ちなので、それなりに知人が死んでいくのを目の当たりにしているのですが、若いときはこれほど「儚い」ということを感じておりませんでした。

若い頃に知り合った人たちは同じ病気の人が多かった。つまり同じ条件だったのです。当時の白血病は必ず最後は亡くなる病気であったので、あとに逝くか先に逝くかの違いはあっても、みんないずれは死ぬのだという思いだけでした。

けれども最近はそうではありません。ぼくよりも元気だった人が、ある日突然病となり、ほんのすこし闘病をしたと思ったら、亡くなってしまう。まだまだこれからという若さで亡くなってしまう。

その方々は、ぼくががんになって大手術をした数年前に、見舞いをくれたり、心配していただいたりした方々なのに、先に逝ってしまった。一方、心配や迷惑をおかけしたぼくは未だに生き残っているのです。

人の生き死には紙一重。健康そうに見えた人がこうして亡くなっていくならば、ぼくなど明日に人生が終わっても不思議ではありません。ならば、ぼくの人生とはなんであろうか、そんなことを考えます。

最近少し過労気味なのは違いありません。無理はしてはいけないとわかってはいるのですが、未明から夜まで仕事漬けの日々が続いています。会社を維持し、従業員と家族を養っていくためにはそうせざるをえないわけですが、ふと立ち止まればこの余裕のない暮らしに呪詛の一つも唱えたくなります。

けれども、人生の儚さに思い至るとき、ぼくは呪詛の言葉を飲み込みます。

日々の暮らしに汲々として、常に足らざるを覚え、あがきながら満足を得ることができず、不平を唱えながら死んでいくならば、その人生はあまりに虚しいのではないか。

なりたかった自分になれなかった過去を恨んでも仕方ない。今の暮らしの辛さを嘆いても仕方ない。あるかどうかわからない未来への不安で鬱屈するのも虚しい。だとしたら、今できることを精一杯やっていくことで、そのときそのときの喜びや、悲しみを味わうことこそが人生の充実というものではないだろうか。今はそう思います。

けれども、なかなか達観はできないものですから、今日そう思っても明日は日々の生活に恨みつらみをぶつけているかもしれません。それでも、人生の儚さというものは常に意識をしておきたいと思います。

ミライがきてひと月

鳶色の猫ミライがわが家にやってきてひと月が経ちました。

来たときはガリガリに痩せていて、よほどひもじかったのでしょう。猫砂まで食べたりしていました。

9月23日

9月23日

やがてわが家にも少しずつ慣れて、子どもたちにも慣れて、自分の居場所を見つけるようになりました。でもやっぱり膝の上がお気に入りです。撫でてやると、時々確認するように顔をあげて覗いてくるのがかわいいんですよ。

9月26日

9月26日

完全室内飼いなので、外には出られませんが、陽のあたる場所で顔を洗ったりしてくつろいでいます。ミライも外の世界にはまだあまり興味が無いのか、窓を開けても外に出ようとしません。

9月27日

9月27日

10月に入ってから、予防接種を受けに行きましたが、便の中に虫がいて接種がなかなかできませんでした。マンソン裂頭条虫というものだそうで、これはカエルやヘビといった爬虫類を捕食するとつくことがあるそうです。うちに来るまでにいったいどんな生活をしていたのでしょうか。そういえば、トイレもなかなか猫砂でやってくれず、風呂場などの水のあるところでやってましたから、水辺で暮らしていたのかもしれません。動物病院では虫下しを飲まされておりました。

古くなった子供の服を敷いた箱をベッドにしたつもりですが、猫の爪とぎの上にいつも座っています。

10月3日

10月3日

現役で使っている子供服の上ではくつろいでいます。あまり脱ぎ散らかせません。

10月3日

10月3日

ところで、ミライはときどき舌が出ています。前にいたニャン太はそんなことがなかったので、なかなかおもしろいものです。

10月7日

10月7日

子猫らしいやんちゃなところが出てきました。床に転がっているペンなどに飛びついたり、子どもがちょっとしたおもちゃをつくるとすぐに飛びつきます。

10月8日

10月8日

一度の虫下しでは効かず、毎週のように病院通いをして、三週目にしてようやく虫がいなくなり予防接種を受けることができました。体重も1.6キログラムとなって見た目もずいぶん大きくなったように思います。トイレもようやく覚えてくれて、ひとりで留守番をさせていても安心になりました。

10月17日

10月17日

この冬には避妊手術を受けようと思っています。メス猫なので生理のときにどうなるのか多少心配でもあります。

名前はミライ

くつろぐミライ
昨日我が家にやってきた鳶色の子猫。ずいぶんお腹が減っているようでした。動物病院でもらったロイヤルカナンの試供品を少しずつ与えましたが、あっという間に平らげて、足りないと見るやトイレの猫砂を食べはじめたのには閉口しました。

何度制しても食べてしまうので、仕方ないわと放っておいたら、気持ちが悪くなったのか吐いてしまい、それ以来猫砂を食べることはやめたようです。もっとも食欲がないよりは、どんどん食べてくれたほうが安心ではあります。

いつまでも猫、猫というわけにいかないので、名前をつけようということになり、子どもたちに考えさせました。長男はいい案がでないようで、考えあぐねていましたが、次男はすぐに「ミライはどう?」と言いました。嫁さんも「未来の別の読み方をするとお母ちゃんの名前になるからいいじゃない」と言います。長男は「なんでもいい」とそっけありません。

「ミライ」「ミライ」…

こうしてミライという名前をもらった彼女といえばまるで聞く耳を持たず、食べるものはないか部屋中をあさっていました。呼ぶ方もつい「にゃんた」と言ってしまうことがありますが、だんだん慣れていくでしょう。

我が家に来て二日目。仕事でなかなか面倒をみてやれませんが、たまに部屋に戻ると、ミライは陽のあたる窓際に居場所をみつけて、それなりにのんびり過ごしているようです。ただ、よほど猫砂に懲りたのか、トイレを使わずバスマットの上に立派なうんちをしておりました。がっくり。

再び猫を飼う

新しく迎えた猫
にゃんたが亡くなって半年余り。わが家に新しい猫がやってきました。

もう動物を飼うのはしばらくいいや、と思っていました。どうしても死に目は辛いし、飼うことで日常生活にどうしても制約がかかってしまいます。それでも今回猫を飼うことになったのは、やはり見捨てるに忍びないことでしょうか。

市内の児童クラブにその猫は捨ててあったそうです。スタッフの方が保護されましたが、施設にはいろいろなお子さんがこられることから、そのまま飼うわけにいかず、新しい飼い主を探されたのでした。友達経由のFacebookの投稿でそれを知りました。

にゃんたのときもほうぼうに飼ってくれないか案内したけれども、猫というのは案外貰い手が少ないことがあります。一度は、このまま見なかったことにしようと思いましたが、二度目にまだ貰い手がないことを知り、貰われなかった行く末を考えると動かずにはいられませんでした。

家族会議をしたところ子どもたちも飼いたいとのことでしたので、保護されている方に連絡をとって会わせてもらうことになりました。ぼくとは別にもうひと方、飼うことを希望されているということで、まあ貰い手があるならいいかなとも思いましたが、ともかく会いにいきました。

その猫は、ちょっと見たことのないような鳶色の毛並みをしたメス猫でした。まだほんの子猫で、生後数ヶ月。たぶんにゃんたを拾ったときもこれくらいの大きさだったように思います。目が大きくはっきりして、人にすぐ寄ってきます。やはり飼いたいなとも思いました。

飼う意志のあることを伝えて、いったん帰ったところ、やはり譲るということでご連絡をいただき、その日のうちにキャリーをかかえて猫をひきとりに行きました。

そのまま動物病院に連れていき、今後のスケジュールを話しました。ワクチンも打たねばならないし、近い将来避妊もしなければなりません。最近は、マイクロチップの埋め込みも勧めておられるそうです。

夕方わが家に連れて帰りました。すっかりおとなしくなった猫は、恐る恐るキャリーから出ると、周囲を探るように歩いています。子どもたちが喜んで近づこうとすると、さっと逃げますが、そのくせどこか行こうとすると後をついてきます。

よほど腹が減っているのでしょう。更にフードを出すとあっという間に食べ尽くしてしまいました。ただ、様子を見ながらフードを与えていかねばなりません。

まだ名前もつけてないのですが、ぎこちなく猫のいる生活がふたたびはじまりました。これから何年一緒にいてくれるでしょうか。ひょっとするとぼくよりも長生きするかもしれません。それならそれでいいか、とも思います。

嫁さんがいいました「今日、にゃんたが来たのよ」。

そうか、すっかり忘れていたけど、にゃんたがうちに来たのは2001年の9月23日。この子がうちに来たのも9月23日。不思議なご縁があったのでしょう。

記憶はやがて歴史になる

今年も広島に原爆が投下された日が巡ってきました。子供の頃からテレビを見て、この日だけは何か特別な気持ちになったものです。毎年毎年同じような暑い夏の日に、同じような式典をテレビで見て厳粛な気持ちになることを繰り返してきたように思います。

今日も子どもたちが平和の鐘をつき、平和への誓いを述べていました。「命の尊さを 平和への願いを 私たちが語り伝えていきます。」と締めくくりました。その光景を見ながら、変わらない式典と、すでに戦後71年が経過していることのギャップになんとなく心がざわつくのです。

もちろん、ぼくは戦争を体験したわけではないので、原爆が招いた悲惨さをどれほども知りません。それでも、ぼくが子供の頃には周りに戦争を体験した大人がたくさん残っている時代でした。直接に戦争を生き抜いた人が語る平和への希求は重みがあったように思います。まだ戦後20年ほどという時間は、戦争の惨禍を忘れ去るには短いものだったのでしょう。

しかし70年という時間は、もはや実感のある出来事とは言えないのではないかと思うのです。ぼくが小学生であったころの70年前というのは、日露戦争の時代です。当時のぼくは、広島や太平洋戦争をかろうじて実感をもって感じることができても、日露戦争の実感はとても持ち得ませんでした。日本海海戦での勝利も、203高地の犠牲も、それは歴史上の出来事でした。

今、平和の鐘をつき、平和の誓いを述べる子どもたちは、70年も昔のことを真に実感のこもったものとして捉えることができているのかどうか。それをさせるのは、オトナの傲慢ではないかとすら思ってしまいます。

日露戦争と原爆とでは意味合いが違うと言われるかもしれません。しかし、こうして少しずつ記憶が歴史となっていくのは、しかたのないことではないかと思います。平和の大切さを語ると言っても、実感のこもった平和への希求は薄れ、なんとなくお題目を唱えるようなことになりはすまいか。もうまもなく戦争を体験した日本人は誰もいなくなります。

ぼろぼろになった制服や、焼け焦げた三輪車だけが、かろうじて説得力を持つようになるのではないか。なんともやるせないのですが、やがて歴史の彼方に忘却しなければ、人もまた前に進めないことになるのであれば、しかたのないことかもしれません。

半世紀を生きた

子供の頃にはノストラダムスの大予言というのが流行っていまして、1999年に世界の終わりがくるなら、自分は34歳で終わりだなと漠然と思っていました。

29歳で白血病を患った時に余命5年位と聞いて、世界が終わろうが終わるまいが本当に自分は34くらいまでには死ぬのかと暗澹とした記憶があります。

それが時代に恵まれ人に恵まれ、どういうわけか延々と生き延びて、ステージⅢの膀胱がんになってもさらに3年余を無事過ごして、とうとう50の歳になりました。病気を通して知り合った方々の多くが、志半ばにして夭折される中で、まさか自分がここまで生きられるとはとても思いませんでしたが、いざこの歳になるとあっという間の出来事だったなと思うのです。

誰もが感じられるとは思いますが、心の持ちようは高校大学の時とそれほど変わらないのに、まわりだけはいつの間にか変化して、いつの間にか自分もそれなりのところに祭り上げられてしまっているのが不思議でなりません。

まるで相対性理論のウラシマ効果のように、自分の時間よりも周囲の時間の流れが速いのです。もっとも自分の時間が遅くなるのは心のなかだけのことで、外見をはじめ体の組織はしっかり老化しているわけですが。

ぼくは昔から記録をとったり写真を撮ったりすることに中途半端にこだわっていたりするのですが、この自分は変わらないように思えて実は変化している、という事実への恐れが、記録への欲求につながっているのかもしれないと最近思うようになりました。

代わり映えのしない日々、けれども失ってしまうと二度と取り戻せない日々。それらが今になってみると、いかに貴重でかけがえのないものであったかと思うのです。その断片が手元にないことの残念さが、今になって記録をとろうという気持ちにつながっています。いつの間にか変わっている風景、持ち物、成長する子どもたち…。文字や映像に残しておくことで、それが実際にあったことだという安心を得られるような気がするのです。

自分の人生の終わりともにそれらすべてが無に帰するとわかっていても、もっと文字を書いて、もっと景色を切り取っていかねばと、急かされるような気がするのです。

とはいえ、この程度の文章をぽつりぽつりとアップするのが精一杯。この歳になれば、もっと実のある文章を書けるようにならなければいけないのでしょうが、なかなかできるものではありません。昨日と今日と自分が変わるわけでもないとわかっていても、50という年齢は何かしら自分にプレッシャーをかけてくるような気がします。