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10年生存率について思うこと

がん患者 10年後の相対生存率を初公表 NHKニュース

国立がんセンターががんの10年生存率をはじめて公表したというニュースがありました。今まで、5年生存率というのはよく指標として使われてきましたが、10年追いかけてどうだったか、はじめて体系的な調査ができたそうです。

ぼくもがんサバイバーとして、この数値が気になって調べてみました。下のサイトに部位別の生存率表があります。

全がん協加盟施設の生存率協同調査 / 全がん協生存率

膀胱がんステージ3。殆どの患者は手術をしています。5年生存率は62%。だいたいこんなものかなと思い、少し安堵。そして、表題の10年生存率はというと、32%でした。

3割というのはなかなか厳しい数字だなと率直に思いました。けれども、5割だろうが3割だろうが、当人にとっては0か100しかないわけで、あまり関係のない数値です。それよりも痛切に感じたのは、5年生き延びても安泰とは言えないのだなあ、ということです。

5年で6割、10年で3割ということは、5年が経過しても生存曲線が緩やかになることなく、一定の割合で下がり続けることを意味しています。つまり、5年経って、ああ生き延びたと安堵できるわけではなく、その後も今と同じように転移や再発を恐れながら暮らさなければならないということなのでしょう。

5年というのを一つの目安にしてきましたが、今回の発表で、それが安心の目安ではないことをあらためて思い知らされたような気がします。

もっともどんながんでも完治ということはなかなか言われません。発病して20年近くたち、もうずっと寛解状態を維持している白血病だって、いまだに病院に通い、再発がないか観察をしなければならないのです。

やはり数字というものに右往左往するようではいけないのです。確かなことは、こうなった身である以上、より一日一日を大切に生きなければならないということなのです。

一つ望みを見出すならば、今回の発表は、サンプル数も少ないですし、また2000年ころに発病した方の追跡調査です。10年一昔と言いますが、それだけの期間があれば病気の治療について進歩もあることでしょう。

今年から、全国的にがん患者の追跡調査が行われるようになります。サンプルも多くなり、治療も進歩した10年後には、きっと生存率も半分くらいには上がっているのではないでしょうか。ぼくが、その半分に入ることができればいいのですが。

おむつが取れた

膀胱がんの手術から2年半経ち、ずいぶん体調も回復してきたのですが、やはり膀胱を摘出しているので、排泄だけは困難が残っています。

体の中には小腸を切って袋にした代用膀胱が入っていて、腎臓からの尿はこの代用膀胱に溜められて尿道を通って排泄されます。仕組みはこれまでとほとんど変わりませんが、この代用膀胱は、本物と違って神経が通っていないので、明確な尿意もありませんし、自律的に縮めたりゆるめたりすることができません。

なんとなく下腹が重たい感じが、言ってみれば尿意になります。ただ、代用膀胱を腹圧をかけて押しつぶすようにしないと、うまく排尿ができず、残尿感が残ってしまいます。座ると腹圧がかけやすいので、出先でも洋式便所を探すようになりました。

本物の膀胱は脳が伸び縮みをコントロールしています。ですから、膀胱の筋肉を緩めるとともに尿道の筋肉を閉じて尿が勝手に漏れないようにしています。けれども、代用膀胱ではそうはいかないので、尿道の筋肉のみでせき止めています。

退院してからしばらくは、このコントロールがうまくできず、ちょっと体をひねったり下腹に力が入っただけで、尿が漏れることがありました。しかし、そのうちに体が慣れてきて、日中は自分の意志でコントロールができるようになったのです。

ただ、夜間は意識ができないため、尿道の筋肉が緩んで尿漏れをすることがありました。子どもの夜尿のように大いに漏れることはないのですが、わずかに漏れただけでも気持ちが悪いものです。そのため、夜寝るときには大人用のおむつを履いて寝ておりました。

こればかりは自分の意識の及ばないことなので、今後も仕方のないことかなと思っていたのですが、不思議なことに、この夏くらいから尿漏れしないようになったのです。ひとつには代用膀胱の容量が大きくなったこともありましょう。4時間程度は特に我慢することもなく尿をためられるようになってきました。それと、寝ていても排尿すべき時に自然と目が覚めて、わかるようになってきたのです。それはどういう作用かわかりませんが、神経の通っていないはずの代用膀胱の容量を脳が感知して指令を出しているようにも思えます。

思うに、人間の体というのは、機能を失ってもそれを補完するようになっているのではないでしょうか。目の見えない人は、聴覚や触覚など他の感覚器官の反応が飛び抜けて鋭かったりする例を知っています。友人のおじさんは胃を切除したけれども、食道が胃のように袋状に変化したそうです。本当に不思議なものです。

この10月くらいからはいよいよおむつをやめてみました。そうして、2カ月ほど立ちますが、どうにかおねしょをしないですんでいます。大人用おむつは枚数が少なくて値段も高いですし、何より尿漏れの気持ち悪さから解放されるのは、生活の質を向上させてくれました。

ぼくの、今年一番良かったニュースは「おむつがとれた」ということですね…まるで子どもですが…(^_^;。

手術をしてから2年半になった

がんになるとよく5年生存率がどうのこうのといいます。がんとなってから様々な治療を行うわけですが、がんが取りきれなかったり、あるいは別の部位に転移したりして、残念ながら治療のかいなく亡くなられる方がおられます。やはり1年、2年で亡くなる人は多いです。

それがだいたい5年位経つと、そのがんが原因で亡くなる人が少なくなってきます。ですから、5年経って生き残っている人は、まあがんを克服したということになるようです。そこで生き残っている人の割合が、5年生存率というわけです。

いざ患者になると、その5年生存率が気になって仕方ありません。5年生存率は、どんながんであるか、またそのがんがどれほど進行していたかによってもかわります。ですから、いろんなサイトで調べて、自分の病状と照らし合わせ、その値の高低で、なんとなくホッとしたり、絶望したりするわけです。

ぼくの場合、膀胱がんのステージⅢ。調べ方によって多少数値は違いますが、その5年生存率は4割といったところのようです。どのくらいの数字が、安堵と絶望の間にあるのかは人それぞれなのでしょうが、ぼくはそれほど落胆はしませんでした。ともかく5年乗り切れればいいなと思いました。

もし、反対の6割の側に入るとなると、その原因は再発、転移ということになります。そこで、半年に一度CTを撮って、再発や転移がないか調べています。5年間で都合10回のCTを受けて、それがすべてパスしたらまず安泰というわけです。

その5回目のCTを先日受けました。つまりがんの手術をして2年半が経ったのです。おかげさまで、再発、転移の兆候もなく、腸管で作った代用膀胱も尿経路も問題ないという診断を受けました。

やった5連勝だと思いました。そして2年半無事だったと思うと、半分まで来た、なんて思いました。あと半分か、なんて思ってしまうわけです。でも、そんな区切りは実は無意味なんです。

とかく区切りの数字を作りたくなるのは、人間の性でしょうか。5年生存率にしても、5年じゃなくてもいいわけですし、それが何割だからどうこうというのは、患者個人にとっては100か0かしかないわけで、まったく無意味な数字です。ぼくだって、今までよくたって、次のCTで転移が発見されれば、たちまち窮地に陥ります。それでも、何か区切りを見つけてしまうのですね。

気にしない、というのはなかなか難しいことですが、生存率がどうとか何年とかいう数字に振り回されないようにしようと思っています。

それに5年生存率も、時代が移るとドンと高くなることだってあります。例えば、およそ20年前にぼくが慢性骨髄性白血病になった時に、5年生存率は約5割と言われました。今はそれが9割にまであがっています。とても効果的な薬が発明され治療に使われるようになったからです。

ぼくが5年生存率4割と聞いてさほど落胆しなかったのは、その確率が自分自身にはあまり関係ないということを白血病で経験していたからかもしれません。

がんであろうが、健康であろうが、5年後のことなど誰もわかりません。大切なのは、今生きていることを喜び、その日その日を暮らしていくことだと、2年半経った今、自戒をこめて思うところです。

胃カメラを飲んできました

白血病の治療によるものか、もう何年も貧血傾向でありましたが、二年前の手術以降はもう一段貧血が進んだ状態になっています。

前回の診察では、これ以上下がると日常生活に差し障りがでるかもしれない程度まで貧血が進んできたので、この血液の不足が体内の出血によるものではないか確認したほうがよい、ということになって、胃カメラを飲むことになり、昨日病院を受診しました。

ちなみに8月5日は、2年前に退院した日でもありました。病院では手術をした4月が区切りになって検査の日程が組まれているわけですが、ぼくにとっては、ここから再び日常生活がはじまったので、この日がひとつの記念日になっています。

しかし胃カメラという検査を受けるとどうも卑屈になっていけません。今日こそは堂々と検査を受けてやろうと思うのですが、麻酔ゼリーを口に入れられて待っている間で気分が凹んできます。

いざ検査でベッドに横たわりマウスピースをかまされ、食道にカメラが入ってくる時が一番きつい。吐き出そうという反応が抑えきれず、何度もげえげえ言っていると、お医者さんからは注意され、涙目になりながら、看護師さんに背中をさすられ、ようようカメラを飲み込めば、検査前の気持ちはどこへやら実に情けない気持ちなわけです。

まあそれでも何度か内視鏡検査を受けたおかげか、管が胃の中に入ってしまえば、多少のゲップが出るくらいで落ち着いて対処できたと思います(自分の中では)。

診察では、結局胃から上の部分での出血は認められなかったということです。ただ、若干の食道裂孔ヘルニアと胃の粘膜が薄いゆえの胃炎があるという診断でした。

食道裂孔ヘルニアというのは、普段食道と胃をつなぐ部分は横隔膜によって隔てられているわけですが、胃がなんらかの影響で横隔膜から飛び出してしまっている症状だそうです。以前も逆流性食道炎になったことがありますが、そういった影響もあるのでしょう。ただ、特に治療する必要もない軽いものだそうです。

次回は胃から下の部分で出血がないか、大腸検査を行ってみようかという話でしたが、大腸検査というのはなかなか難儀なものなようですし、今回の血液検査では貧血も若干改善していたのもあって、検便で済ませてもらうことにしました。それで潜血がなければまあ勘弁してもらおうと思っています。

まあこうして定期的に病院通いの身だからこそ、胃カメラなども飲む機会があるわけで、これこそ一病息災ということです。もっとも、それを過信していて膀胱がんは見過ごしてしまったわけなので、これで安心とは言えないこともまた事実なんですね。

忙しきことはよきこと哉

今年に入ってから運命の歯車が回り始めたというか、公私ともにあらゆることが自分のまわりで起き上がり、それを必死になってこなしているうちに、いつの間にか年の後半になってしまいました。

特にこの8月から、別の会社と業務を提携して、新しい体制で仕事にとりかかることになり、かなり切羽詰まっています。あれよあれよという間に、新体制まで一週間を切りました。設備工事の打合せをし、提携先との事務作業のプロトコルを作成し、新しい設備のオペレーションをどうするか、お客様へのプロモーションをどうするか、それらを順番に決定していかねばなりません。

もう一つ、今月末と来月の初めにイベントがあって、そちらの準備もあります。自分が企画を出してしまったような事業なので、なんとか責任を持ちたかったのですが、今抱えている仕事との兼ね合いが難しくなってしまい、同業の仲間に助けてもらうことにしました。とはいえ、なんとか成功させたい思いもあり、それなりに準備を進めていかねばなりません。

諸々のことに追われ追われて過ごしてきましたが、今日は7月最期の日曜日。外部との交渉ごともなく、工事も休みで、少しなにかぽっかりと穴が開いた時間ができました。この時間に勢いをつけて、このご無沙汰なブログに、今の気持ちでも書いておこうと思います。

なかなか降りてこないアイデアや、上手くいかない交渉ごとや、安楽な時間が持てないことへのストレスがあって、感情的にも高ぶったこともありましたが、本当は、これだけ忙しく過ごせることは、ものすごく幸せなことだなあと思わずにはいられません。

思えば、2年前の今頃は、抗がん剤を体に入れて、吐き気と貧血とにさいなまれて、毎日病院のベッドで過ごして仕事どころではありませんでした。昨年は貧血をかかえながら、このままではいけないと体力をつけるために、ぼちぼち歩いたりして、リハビリをする日々でした。

それから、まがりなりにも普通の日常生活が送れるようになって、仕事もできるようになったのは幸せなことです。しかし、それ以上に幸せを感じるのは、周りの人たちが再びぼくに仕事を任せてくれるようになったことなのです。

たとえ自分は大丈夫と思っても「あいつは病み上がりだし、いつまた倒れるともわからんから、重要な仕事は任せられないな」と思われたらどうでしょう。今なお、悶々とした日々を過ごしていたかもしれません。けれども、ぼくの周りの人たちは、この病みあがりの身に、再び大事なプロジェクトなどを任せてくれたのでした。

まことに人間はわがままなものです。「無理せず休みなさい」と言われるよりも、「いつまでも病人面なんぞしないで、仕事せいや」そうやって尻をたたいてくれることのほうが、今のぼくにとっては力になる言葉なのです。

その期待に精一杯応えるためにがんばることで、日々生きていけるわけですし、生活もまた開かれましょう。そしてそれこそが、自分が癒えたことへの自信となるように思うのです。

たまたまの人生であることを知ること

今年もまた、友達だった人の命日が来ます。遠く離れているので、お墓参りに行くこともないけれど、その日が近づくと、なぜ彼が死んでぼくが生きているのか、そんなことを思います。

同じ慢性骨髄性白血病という病気で、同じ薬を使って治療をしていたのに、彼にはその薬が全然合わず、ぼくにはその薬が効果があった。その違いが生死を分けたのです。

彼は薬が合わないために、骨髄移植しか手段がなく、しかしドナーも見つからず、最終的には多臓器不全を起こして亡くなりました。ぼくは、その薬が完璧とは言えないけれどもまあまあ適合して、のらりくらり暮らしているうちに、より効果的な新薬が認可され、こうして今も生きています。

その後、ぼくは膀胱がんにもなりました。腫瘍細胞が臓器内にかろうじてとどまっているステージ3でした。もう少し発見が遅かったら、臓器を破りリンパ節に乗って、がん細胞が体中に散らばっていたことでしょう。

もちろんもっと早期に発見できれば、膀胱摘出することもなかったでしょう。けれども、ステージ4という厳しい状況はわずかの差で回避しました。そのため、いまや普通の人とそれほどかわらぬ生活ができているのです。先頃、俳優の今井雅之さんがステージ4の大腸がんを告白して、すっかり痩せられたのを見たりすると、ぼくも紙一重のところだったのだと身震いします。

ぼくが今なおこうして生きているのは、本当に「たまたま」なのです。たまたま薬が適合したし、たまたま手術が成功したし、医学の進歩の節目にたまたま生きていたということなのです。

それは、ぼくが「とてつもない幸運の持ち主であった」ということでもないし、「生かされているのは神様の思し召し」でもないと思うのです。

きっと、今生きている人はみな幸運に恵まれているのです。しかし、誰もがそれは当たり前と思っているのです。ぼくもそう思っていました。しかし、死の近くをうろうろしたことで、それはほんの「たまたま」のことだ、という感じを強く持つようになりました。

命をわけるものは、ほんの偶然の出来事にすぎないというこの不条理。

「人間はひとくきの葦にすぎない」そういや読むのに挫折したパンセでありましたなあ。

彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するに及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は、自分が死ぬことと宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

人間の惨めさ、運命の理不尽を知ることこそが、人間の尊さであるとパスカルは言います。哲学というのは、いつもこんな禅問答みたいなことを言うので、納得ができません。今も納得しているとは言いがたいけれども、死の近傍を歩くと、実感として言わんとしているところはわかるのであります。

2年前を振り返る

ここのところ忙しくてブログを書くこともできず、あっという間に春がきました。インターネットも時々Facebookを見るくらいだったのですが、先日4月7日に「2年前の写真を振り返ってみましょう」と表示されたので、どれどれと見てみると管に繋がれてベッドに横たわる自分の姿が現れました。
Facebookから
2年前の4月、膀胱全摘出手術を行ってまだ数日。麻酔チューブやら栄養チューブやらも繋がれ、まだ起き上がることもできず、個室のベッドの上にあったのを写真にとってプロフィールに使ったのでした。

その日の書き込みを読むと、当時のことをありありと思い出すことができます。まだ貧血がひどく、なかなか状態が回復しないので、輸血を行ったのもこの日でした。その時のことは以前ブログにも書きました。

輸血 | fumiton.nyanta.jp

輸血を受けるとき、おそらくは生理的な直感による嫌悪感と、命を救ってくれたことへの感謝が、同時に沸き起こってくる不思議な感情は忘れ得ぬものでした。

それから2年がたちました。

半年に一回受けているCT検査も、先日の検査で4回めになりました。転移の兆候は見られず、尿路経路も異常なしと、実にあっさりと診断を受けました。白血病については、無投薬での寛解状態をもう2年近く保っていることになります。現在は、体質の変化か、顕在化したアトピーや喘息症状を抑えるだけで、まあ普通の人になったようです。

がんサバイバーといっても、ぼくはとても恵まれているのでしょう。これといった思いもなく、日々を過ごせていることが、日常にもどった証左でもあります。でも、時々は、素直に生きていることのありがたみに感謝したあの頃の自分を思い出して、人生について考えてみることも必要なのかなと思います。

モニターに写った自分の姿を見ながら、振り返りました。