退院許可

雲間から光
40日に渡った今回の入院生活は、最終盤になりました。すでに排尿コントロールだけが課題となり、それは日にち薬でもあるので、退院も間近でありました。

今日、主治医の先生から今回の経過と今後の治療方針について説明を受けることになり、夕方にあのがんの宣告を受けた相談室に嫁さんとともにありました。先生は、尿量が無事回復しているのでいつ退院しても差し支えないと言ってくれました。「ただ…」というとおもむろにPCのモニターを開いて、病理検査結果の書類を説明し始めました。

それによると今回のがんを取ってみたところ、予想以上に悪いものだったようです。病巣の浸潤具合を示す値は当初のpT2よりも悪くpT3というもので、筋肉や脂肪組織まで侵されていたそうです。「すべてを取り切ったので、今のところ転移等の心配はありません。しかし、このpT3のがんの場合は、予防措置的に抗がん剤を投与したほうがよいと思います」そう先生は言いました。

以前病床にある時「全て取り切ったので今治療を以って完治ということにしましょう」と聞いていたので、ぼくは動揺しました。投与するしないは、ぼくの考え方次第でよいとは言われましたが、先生としては抗がん剤の投与を3クール、または少なくとも2クール勧めたいようでした。

抗がん剤投与の場合、また複数回の入院が必要になります。標準では15日間の間に4回投与し、さらに一週間副作用の経過観察をして21日で1クールだそうです。さらに、副作用もあります。脱毛、吐き気、倦怠感…。ぼくは直接抗がん剤投与を受けたことはありませんが、過去にも多くの方の治療を見て、その副作用の凄まじさはよくわかります。

隣にいた嫁さんは、表情をなくしてただ先生の説明を聞いていました。また、彼女に迷惑をかけるのか、そう思うとこみ上げるものがあります。ぼくは結論を保留し、明日退院したい旨を告げ、先生も了承してくれました。「こんなお話しで残念ですが、必ず長期にわたってサポートします」と先生は言いました。

ベッドに戻り、しばらくぼんやりしていました。こんなに頑張ってきたのに、まだ苦しみが待っているのかと思うと、力が抜けていくように思いました。嫁さんは何も言わず泣いていました。彼女には結婚して以来、苦労をかけっぱなしで、またぞろ苦しみを与えなければならないのだと思いました。そして子どものことを思いました。「今年の夏は父ちゃんと海水浴に行きたいんだよ!」怒るように言っていた長男の顔を思い出し、ぼくも泣きました。

嫁さんを家に帰し、窓を眺めると雲間からカーテンのように太陽の光が地上に降り注いでいました。まだ生きていたいなあと思いました。自分の運命の来し方を思い、まだ試練があるのだと思うと悔しくて涙が出ました。様子を見に来た看護師さんの前でも泣いてしまいました。看護師さんはなんにも言わず背中をさすってくれました。その手があったかくて、ありがたくて、また泣きました。

今回ばかりは正直迷っています。治療の苦労に比べて恩恵、転移の防止効果がどれほどあるかはわかりません。しかし、あとになってあの時ああしていたらという後悔もしたくないのです。人生なんてどうなるかわからないのなら、これでひとまず治療をやめる選択肢もあります。でも、もう少し、子どもの成長を見守りたい。

なんとも言えぬ苦い思いを抱えながら、明日退院することになりました。5月の間に宿題の結論を出すことにします。

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