何をするにしても最初から上手にできる人などいません。ごくまれには天賦の才に恵まれて、たちまちにして上達する人がいるかもしれませんが、たいていの人は何もできないことを自覚しつつ、より上手くなれるのを目標にしてがんばるのだと思うのです。
しかし、それがどうにも我が子にはわからないようです。とりわけ下の子には、そのことを理を尽くして話すのですが、伝わらない。それが実にもどかしい。
下の子は、はっきり言って勉強ができる子ではありません。音読なども、テンポよく読むことができません。語彙がないのもありますが「わたしはまる子です」みたいな文章があると、Watasi wa Maruko desuとは読めずWatasi hamaruko desuなどと読もうとして意味が通じなくなって、わからなくなることも多々あります。
こういうのは繰り返し文章を読んで、体感として身につけなければならないと思うのです。
しかしそれができない。低学年のうちは、できなければ放り出す、で終わっていました。しかし、中学年になり、本人は少しずつ自分が他よりも劣っているということを自覚するようになってきました。そうすると、できない自分に劣等感を感じるようになるわけです。
ですから、音読などで躓くとたちまち悔し涙がこぼれて、それから先の学習ができなくなってしまうのです。「どうせオレはできない」という劣等感だけがわきあがって、自分に自信をなくしてしまうのです。
そこで「最初から上手な人なんていないんだ。繰り返し練習すれば上手くなるんだよ」と説くのですが、それが一向に伝わらないのです。また、少しでもできたときには大いに褒めるようにしているのですが、「でもまだまだだし…」と、それが自信につながらない。
昨年度も終わりになって、学校と面談したときも、どうもその劣等感が、クラスの中での孤独感につながっているようだという指摘がありました。愛情をそそいであげてくださいと言われて、それなりに一生懸命考えてはいるのですが…。
4月から本人の強い希望で兄と同じサッカー部に入りました。当然、へたくそなわけです。子どもというのはストレートですから、何か彼が失敗したときなどには、チームメイトから罵声が飛んでくるわけです。そこで彼は劣等感を感じて、やる気をなくしてしまう。最近は「オレは下手だから、練習休みたい」というのです。せっかく入ったサッカー部なのに、はやくも正念場かなという気もします。
なにくそという思いがわき上がって、そこからそれなりに努力をすればきっと伸びると思うのですが、心が折れるばかりで、一向に努力しない。努力しないくせに、下手なことを嘆く。努力もしないのに、上手くなるわけがないだろうと思うのですが、それがわからない。
どうしたら、悔しさをバネにしてくれるのでしょうか。それを伝えられない自分の無力を感じます。
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